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ちょっと遅くなりましたが、新入生のみなさん、ベトナム語専攻にようこそ!そして在学生のみなさん、さらに実りある1年を過ごせますように!
 
さて今回は、昇龍会広報のBBA (BroadBandAuthenticator)、1993年卒業の今田が記事を担当いたします。
まずはこの昇龍会noteについて少し説明を。
各学年の広報担当メンバーがベトナム語専攻の「今」を、そして今田が卒業生代表として卒業生の活躍振りをお伝えすることを目指すブログです。記事は週替わりで更新していきますので、こまめにチェックしていただけると嬉しいです!

さて、このnote、「ベトナム語専攻」や「ベトナム」に何かしら引っかかれば、いや引っかからなくても、何を書いてもいいという自由さがモットー。今回は(も)そんな場を悪用して、私の今にもあふれだしそうな思いをお伝えしたいと思います。
 
4月にネット記事で取り上げられた*1のを知って以来、ほぼ毎日聴いてる曲があるんです。それはTÙNG MARU ft. TRUNGG I.U & FREAKYの『VÔ CỚ』↓↓↓

なぜそこまでハマったかといえば、まあ最初はぶっちゃけ出演してる百合っプル(古い)が可愛いからだったんですが、胸キュン(古い)メロディーもよく、そして歌詞がよく聞いてみたらひとりよがり爆発な内容でこれまたよろしくてですね…
 
▼歌詞はこんな感じ▼
別れてからもずっと君のことを思いだしてばかり
なんで君を手放してしまったんだろう
僕たちが歩んできた道は
愛と呼べる場所を過ぎて
孤独という場所にたどりついてしまった
二人でいた部屋には今は僕だけ
あの眩い日々を忘れられるわけがなくて
心は君が戻ってくるのを望んでる
僕たちが完璧にやれてたあの頃みたいに
それがもう遠い昔だってわかってるけど
 
【サビ】
いつかの美しい夢はもう終わり
この恋はもう終わり
君を傷つけてしまったからだね
孤独のやつが思い出たちを連れてこないように
僕はぐっとこらえてるんだ
浅はかだっただけなんだけどね
 
【ラップ】
無意識だったとしても
放ったことばは見えない傷をつけるもの
語り手が僕なんかでなかったら
物語は続いていたのかも
かつては笑えていたことのせいで
僕らは切なくなるんだきっと
 
過去はどんどん遠くなってく
つきあい始めたころの甘い言葉を
探して君に伝えても
それが今は君を悲しませる
だから口には出さずにいる
 
君は左腕に僕の姿を彫った
僕は右腕に君の姿を彫った
僕たちはいくつもの壁を越えてきた
外野の言葉は気にしなかった
 
叫び出しそうになる口を閉ざす
僕が名声なんかより君が必要なんだって
君もわかってるだろう
ひとつひとつ与えあって完璧になったのに
その完璧さが僕以外の人のものになるなんて
 
【サビ】×2回
 
君には何の罪もないから気にしないで
僕らは別れてしまったんだから
あの日の微笑みは
今は消してしまわなきゃ
僕は誰かを悲しませたいわけじゃない
ただ心がかき乱されるんだ
思い出がどんどん流れてきて
君のことをずっと思ってしまうんだ
 
いくつもの悲しみを引き起こしたのはこの僕
だから悲しみのぶんだけ痛みが続くんだね
いちばん大事なものを失ったことにやっと気づいた
忘れようとしてるのになぜか過去が
今もすぐそばにいるなんて
ああもうオレ無理
 
【サビ】×2
 
浅はかだっただけなのに
君が好きなだけなのに
なんでこんなに胸が苦しいんだろう
 ▲歌詞ここまで▲

ただ、曲のタイトルである「Vô cớ」が、タイトルとしてうまく訳せない!意味は「無意識に」「考えなしに」て感じで、歌詞にすると前後の文脈を利用して言い換えがきくんですが、2語、3語でキャッチーな訳となると難しい…と頭をひねった結果、タイトルは「ASAHAKA」となりました!*2 オレ天才!
こういう生みの苦しみって翻訳の醍醐味で、すごく楽しくもあるのです。みんなも試してみてね!
という長い前振りを経て…
 
ここからは少し真面目に語ることにします。
ある言語のことばが持つ意味と完全に一致する意味を持つことばが、別の言語に存在するとはかぎらないですよね。Vô cớで苦労した私が証明よ!てわざわざ言わなくても、外国語を訳した経験がある人にはわかってもらえることでしょう。
それなのに、つい「それってベトナム語でなんて言うの?」と質問するとき、そのものズバリ、な答えが返ってくるものと期待してしまいません?私だけ?ならいいんやけど。(よくない)
でもその期待が裏切られたところで「なんでやねん」とはならないですよね。それってやっぱり、さっきの苦労が生きてるからだと思うんです。もっといえば、外国語を学ぶということは、人は完全に分かり合えることがないし、自分の当たり前はその人の当たり前ではないと知ることなのではないかと。

でも近づくことは可能です。高橋千佳氏の著書『人はなぜ言語を学ぶのか 2人の日本人多言語学習者の記録』(くろしお出版 2024年)のなかで、登場する学習者のひとりが「もともとあった距離っていうのを確実に縮めていくことができるのが言語学習だと思っている」(p.128)とインタビューに答えている箇所がありますが、まさにその通りだと思います。
ベトナム語を学ぶ私たちだからこそ、「ベトナム人というのは~」とか「ベトナムは~」とか主語を大きくした物言いをすることなく、ベトナムとのお付き合いを続けたいものです。なかなか難しいけどね!
 
と、ちょっと偉そうなこと言うたところでお開きですm(_ _)m
今年度も、昇龍会広報をお引き立てのほどよろしくお願いいたします!
 
*1 
https://kenh14.vn/nam-ca-si-lam-mv-ve-de-tai-bach-hop-dua-tren-chuyen-tinh-cua-chinh-chi-ruot-da-mat-20240401214117042.chn
MVにカップル役で出演しているKhánh LinhとNitaのお二人とラップ担当のFreakyは、ともにTùng Maruの親友だそう。そしてTùng Maruは、テーマを「百合」にした理由についてこう語っています。
“Chia sẻ về lí do Tùng Maru lựa chọn đề tài tình yêu nữ - nữ, anh chàng cho biết sản phẩm lần này anh được truyền cảm hứng bởi chính câu chuyện thời thanh xuân có thật của người chị ruột đã mất được 1 năm. Cũng như Freaky, Linh và Nhi đã nhận lời tham gia ủng hộ người bạn thân của mình vì ca khúc mang nội dung và cảm xúc đặc biệt. “Trong bất cứ chuyện tình cảm nào cũng sẽ có những lúc ta vô tình làm tổn thương người mình yêu bằng những hành động hay lời nói vô cớ. Tình yêu sẽ tốt đẹp hơn khi cả hai cùng hạ cái tôi của mình xuống để vun đắp cho những cảm xúc đẹp hơn trên hành trình của mình” - đó là thông điệp mà cả Freaky và Tùng Maru mong muốn truyền tải đến khán giả trong sản phẩm lần này.”
 
“女性同士の恋愛をテーマにした理由について、1年前に亡くなった実の姉の青春時代のエピソードに感銘をうけたからだとTùng Maruは語る。Freaky、LinhそしてNhiも、この特別な内容と感覚を持つ曲だからこそ、自身の親友のMVへの友情出演を受けたのだという。「どんな恋愛においても私たちはつい愛するひとを無意識の行為やことばで傷つけてしまう。恋愛は二人がともに自身の「我」を抑えることで、自身の人生においてより美しい感情に育っていく」-それがFreakyとTùng Maruが今回の作品のなかで視聴者に伝えたいメッセージなのである。”
 
*2
「浅はか」という言い回しを探し出したのは私ですが、もっとそれっぽく!ということでローマ字表記を推したのは同じく卒業生の近藤美佳さんであります。ナイス近藤。大好き。



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