#2 干渉されたくないへそ曲がりの小さなわたし
私は小さな頃から人から干渉されたり、指示されたり、比較されたりすることにものすごく違和感を感じて、嫌な気持ちになっていた。
「〇〇したの?」
「〇〇しなくて大丈夫?」
「早く〇〇しなさい」
まだ自律できていない子どもに諭すのは当たり前のことなのかもしれない。
でも私はすっごく嫌だった。
私自身が干渉されることも嫌だったけれど、人が干渉されているのを見るのもものすごく嫌だった。
大型車のドライバーをしていた父と専業主婦の母。
そして三姉妹の末っ子として生まれたわたし。
最後に生まれたこともあり、他の姉妹よりは割と放任にのびのびと育った。
父は厳しく、こうだと決めたら頭ごなしに言葉を浴びせるタイプだった。
そんな父に私はものすごく反発した。
こうしろ、ああしろ、と何に対しても口うるさかったから干渉されるのがすごく嫌だったんだと思う。
反対に、母はすごく穏やかで太陽のにいつも明るく照らしてくれた。
いつも優しくて、怒られた記憶など一度もない。
今思うことは、干渉されてもなんの得もないということ。
干渉しすぎると自分で判断できない子に
最近の子どもを見ていて思うことは自分で判断し、決断ができない子が多いということ。
ママが教えてくれる。パパがやってくれる。
そんな感覚の子も多く、いざ自分が決断しなければいけない時には迷ったり、悩んだり、結局行動に移せない子も。
子どもなんだからと思う方もいるかもしれないが「自分」を持っている子は1歳であろうと自我がものすごくあり、こちらが示さなくても自分で考えて行動している。
子どもの持っている本来の力は大人が思っている以上。
子どもが持っている大きな力を信じてあげることがすごく重要である。
一昔前なら「子どもだから」と許されていたこと。
今はそれが通用しなかったりする。子育てをする人は周りの大人の顔色を見ながら生活することが当たり前。
大人も子どもも相手の顔色を伺いながら生きている。
最近の子どもは親の顔色を気にする子も多いなと感じる。そんな子どもが「自分らしく」生きていくことなんて到底できない。
一番近しい、信頼関係のある親にさえ自分を押し殺しているなんて信じられない。
もっと子どもは子どもらしく生きていい。
わがまま言ったっていい。
パパママをもっと困らせていい。
いい子でなんていなくていい。
「自分らしさ」を主張して、何がいけないか。
親にさえ自分の思いを主張できなければ社会に出ても主張するのは難しい。自分の意見があったとしても、周りの意見を尊重して、不満を抱えることとなるだろう。
干渉することも、されることもなんのプラスにもならない
干渉しない子育てを
わたしは干渉されるのが嫌だった。
それを分かってくれていた母は、私を信じて見守ることをしてくれた。
進路に悩んだことは一度もない。
何かを決断する時、誰かに相談したこともない。
留学さえ誰にも相談しなかった。
小さな時から自分で決断し、判断することをしてきたからこそ。
迷うことなく、惑わされることなく「自分らしく」生きられている。
口うるさい父に反発してきた人生だったからこそ、母の見守る子育ては今も私の保育の基盤になっているのかもしれない。
母が信じて温かく見守ってくれたからこそ私はどんな時も「あんたなら大丈夫。」その言葉を胸に生きてこれたんだ。
子どもは生まれ持った強く生きる力がある。
だから私は子どもの持っている最大限の力を信じたい。
保育士ベビーシッター 小西なつき
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