見出し画像

#1 子どもたちこそ「自由」であるべきこの世界


子どもは「自由」でいい。

子どもこそ、「自由」でいい。


画像1



私は自由でいたかった。


ちっちゃな時からそう思っていた。


自由ってなんだろう。


思い立ったらいつでもどこにでもいけること?

独身でいること?

誰にも縛られないで生きていくこと?


改めて考えてみると、ぼや〜っとしてる。



保育のプロとして経験を積み、勉強を重ね

10年以上保育を続けてみて感じたこと。


保育というものは

間違いなく人間としての成長を与えてくれている。



フリーとなって出会ったのは

シュタイナーの「自由への教育」


噛み砕いていくうちにスッと納得いく答えが。


「自由とは、自分らしく生きていくこと」


周りに流されることなく、

自分で考え、自分で行動できる、という意味の「自由」


やっと答えが見つかった。

私が子どもの頃から感じていた世界。


少し、歪んで見えてたから。

子どもたちにはそんな風に世界を見てほしくない。




少しでも子どもたちが「自由」に生きていける世の中になってほしいという願いを込めて。

私の経験や思いを伝えていきたいな。



集団が苦手なわたし


画像2


私は集団生活が苦手だった。

1人でも決して苦ではなかった。


でも、集団に馴染めないかと言ったらそんなことはなく

友達もたくさんいたし、誰とでも隔てなく関わることはできた。


画像3


特に女の子は集団にいないと、という年頃もあるけれど私は全然気にせずに一人を貫いたりもしていた。


自分が自分らしく生きるには、自分が納得してその環境を受け入れられるか。


集団が嫌な時には抜ければいいし、入りたければ入ればいい。

「みんながこうだから、こうする」は自分らしさとはかけ離れている。


「みんなと同じ」ではなく「私はこう」という見方は、


柔軟な考え方や見方ができるから今もすごく生きやすい部分。

人と違う視点で色んなことに気付けたりできるから。


だから思い切って「自分らしさ」を貫いてほしい。


とは言っても、やっぱり集団にいなきゃいけないのかなぁ・・という葛藤はあったのは事実。

それでも自分を信じていたからこそ、「自分らしさ」を貫けたんだと今は思う。


自律していたわたし


母に、「あなたは小さい時、お母さんの膝に座ったことなんて一度もなかったわ!」と初めて聞かされる。


三姉妹の末っ子。


画像4


甘えることをせず、なんでも自分でやって自律も早かったかな、と思う。


画像7


頼ることはほとんどせず、身の回りのことは当たり前にやっていた。


小学校の頃、友達が忘れ物を当たり前にするのがびっくりだった。あと、朝はお母さんに起こしてもらうのが当たり前であるとか。

自分は母に起こされる経験がほとんどなかったから信じられなかった。


そういう意味ではかなり早い段階で自律していたな、と。


自律がしっかりできていたことで、私はどんな環境でも

「自分で選択し、自分で決断する」という自分らしさを忘れずに生きられている。


自律への保育は、人が強く生きる、自分らしく生きるための基盤であるということ。


色んな人がいて、色んな意見があっていい


集団にはあまり馴染めなかったけど、人の存在価値はしっかりと捉えられていた。


小学校時代には、クラスに知的障害の子がいて、私はよくその子のそばにいた。

画像5


彼女といると、なんだろう・・。対等な気がしたから。

差別もなければ、比較もない。


彼女のそばにいることが心地良かったのは、きっと人によって態度を変えたりする集団の中にはない安心感があったんだと思う。


急に大声を張り上げたり、突拍子もないことをする彼女に、

周りは逃げ回ったり、嫌な言葉を発したりすることもあったけど私は全然気にならなかった。

むしろ、色んな人がいるんだな、と安心したのかもしれない。


人が生きていく上で大切なことは、自分の価値観で生きるのではなく、色んな価値観を受け入れること。色んな意見、色んな考え方があっていい。




私が今まで歩いてきた道のりは、どこか違和感を感じても

「自分らしさ」だけは決して見失わなかった。



だから私は今、「自分らしく」生きている



縛られる必要なんてない。


人は自由でいい。

子どもだって自由でいい。


小さな子には言葉で伝えるのは難しい。

でも、関わりの中で伝えていける。

「自分らしさ」は引き出せば引き出すほど出てくるから。


この世界が違和感のあるものではなく、「自分らしさ」を貫いていれば

どんな環境でも強く、強く、生きていける。



人生は、誰のものでもなく、自分自身のもの。

子どもたちが周りに惑わせれることなく、個性を存分に発揮した強い生き方ができるよう、私は願う。


強い子は、どんなことにも立ち向かえる。

私がそうだったように、どんなことも楽しみながら乗り越えていける。

そう信じてる。


だって、私は今、自由に生きてるから。




保育士ベビーシッター 

小西 なつき


画像6






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?