#6 過去の自分を差別していたのはわたし
子育てをしていると、
「女の子だから」「男の子だから」と、自然に考えて判断しまうこと。
当然のことかもしれない。
でも、考えてみたら
「その子らしさ」は性別だけで区別してはならない。
全ての概念を取っ払って、
「その子らしさ」を受け止めてあげることだと思っている。
差別、比較されることの違和感
私は、小さい時から「女の子だから」というくくりで表現されることがすごく嫌いだった。
というのも、私は男勝りで負けず嫌い。
昔から男の子と遊ぶのも当たり前で、男の子といると気が楽だった。
男性脳なのか、男性が得意とすることが同じようにできたりもする。
逆に女子の中の環境は苦手だった。
「群れる」ということが苦手だったから一人でいることも多かったし、「やだな」と感じた時は何かと女子の中からスルッと抜け出すスキルも身に付いていた。
あと女の子らしいリボンやフリル・・・嫌だったな。
そんなこともあり、性差になんとなく違和感を感じていた。
というよりも「男の子」「女の子」という区別されることに、かもしれない。
別に女の子らしくしなくたっていいんじゃない?
と、思いながらも、女の子は女の子の環境にいるのが普通だし、「女の子なんだから」と振る舞いを正されたりすることに違和感を感じていた。
なんだか納得いかなくてモヤモヤしてたような。
今考えると小さな頃はそういった「なんで?」「うーーん・・」と何に違和感を感じていたかも分からずに漠然と悩んでいたんだな、と思う。
差別や比較のない海外へ
そんなモヤモヤを抱えながらも、私は30年間日本で生きてきた。
その違和感が当たり前となりつつあり、なんだかスッキリしない人生だったな。
そして、そんな違和感から開放される人生の転機。
30歳になり、オーストラリアへの留学で私のこのモヤモヤは晴れることとなった。
ー 差別のない世界に触れ
驚いたことに、オーストラリアにいるとなんの違和感も感じなかったのである。
「男だから」「女だから」なんてものもなく、
「何歳?」「結婚は?」そんなことを聞かれることもなかった。
街を歩いていても感じることだった。
女性があぐらをかいている姿や、男性がお洒落している姿、男性同士のカップルが手を繋いで歩いていることや女性同士でキスしている光景。
私にとって、日本では感じられなかった違和感のない世界だった。
そして、オーストラリでできた友達や出会った人たち。
みんな、「わたし」を見てくれた。
女というレッテルもなく、アジア人というレッテルもなく、なんのフィルターも通さずに「わたし」を見てくれたのである。
それが、すごく心地よかった。
その時に初めて感じたことは、今まで感じていた違和感は、自分が自分に対してしていた差別だったのかもしれない、と。
自分が自分自身を「女」であることを差別していたのかもしれない。
あぐらかいていたって、女の子らしくなくたって
「わたし」は「わたし」でいいじゃないのか、と素直に思えた瞬間だった。
自分らしく生きることは、自分を大切にすることなんだと、やっとやっと気付けた。
女で生まれたこと、男らしい性格も全部ひっくるめて「わたし」なんだ。
ー 子どもに対しても「その子らしさ」を
私は海外に渡るまで30年ほど、この違和感に悩んで生きてきた。
だからこそ、子どもたちに対する想いは強い。
男の子だから乗り物?ブロック?
女の子だからおままごと?お人形遊び?
そういった固定概念が持たないよう気をつけて関わっている。
「男の子」「女の子」「月齢」など
なんのフィルターも通さず、「この子はどんな子?」を観察して捉えるようにしている。
〇〇だから、こう、という考えはその子を同じ角度からしか見れない。
いろんな角度からその子らしさを見つけてあげること。
子どもに対していつも対等に、差別や比較なく関わりたいと深く思う。
「わたしはわたし」でいい
私が長年感じていた違和感を子どもたちには感じてほしくない。
周りの環境に流されることなく、「わたしはわたしでいい」と感じて強く強く生きてほしい。
自分が違和感を感じる言葉というのは、一生心の中に刻まれる言葉となる。
その言葉を子どもにとってプラスに捉えられるよう変換していこう。子どもが違和感なく、希望に満ち溢れた人生を送れるように。
「その子らしさ」は誰にも変えられない大切なもの。
保育士ベビーシッター 小西なつき
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