#5 母はいつも太陽のように私をカンカンに照らしてくれた
太陽のような母の存在
父とは対照的に、母はいつも温かく、笑顔でなんでも受け止めてくれる人だった。
思い返してみても怒られた記憶がないほど。
すごく優しくて、愛情深くて、三姉妹を比べることもせず、一人一人に愛情をかけて育ててくれた。
私が今日お伝えしたいのは、
愛情は子育てで一番大切な要だということ。
ありのまま、自由に生きていくためには
愛情が身近にないと強く生きていくことはできない。
母の存在で自分らしく生きてこれた
見守る子育て
ー 12年間続けた習い事
母は私たち三姉妹のやりたいことを尊重してくれた。一人一人の個性を大切にしてくれていたと思う。
私は小学校に上がる頃から書道教室に通っていた。自分の意思で自分が納得行くまで続けた。高校生まで続けていたので12年くらいかな。
週に一度、書道教室で墨汁の匂いに包まれながら静かな空間の中で集中する時間が何より好きだった。
そして、書道教室で仕上げた書を母に褒めてもらえるのがすごく嬉しかったのを今でも覚えている。
母にもっと褒めてもらいたい、という思いで続けてた部分もあったのかも、と今になって思ったりもする。
母は強制しなかったし、続けなさいとも言わなかった。
強制も強要もされない自分の意思で続けるということの大切さは続けていなければ分からなかったことである。
いつだって本人の意思を尊重してくれた母の大きさを改めて有難く感じる。
その子らしさを受け止める子育て
ー 子どもが決めたことに口出ししない
私は小さい時から 意志が強かった。固かったのか。自分で決めたことは親に何を言われようと聞こうとしなかった。
それが良いのか悪いかは分からないけど、母はそんな私の性格を分かりきった上でちゃんと受け止めてくれた。
高校や、専門学校
人生の中の進路を決める時も母に相談することなく一人で決めた。
私は人に言われて何かをすることが好きではないし、相談して「やめておけば?」と言われて揺らいでしまうくらいの心であれば意味のないものだと思っている。
母のことを考えてみれば、とんでもなくめんどくさい子だと思ったことだろう。
そんな私を見捨てることなく受け止めてくれてた母には今も感謝している。
小学校の時。
「あんたは芯の強い子だからお母さん、何にも心配してないよ」と言ってくれたことを今でもずっと心の中に大切に大切にしまってある。
この言葉があってからこそ、私は私らしく、周りに流されることなく生きてこれたのである。
フィリピン留学を決めた時も、「あんたならどこでも生きていけるから大丈夫」とただただ背中を押してくれたのである。
「可愛い子には旅をさせろ」という言葉があるように、子どもを信じ、子どもに挑戦させるということは大切な大切な生きる力となる。
愛情いっぱいの子育て
ー 無条件の愛情を
母は本当に愛情深い人だった。
控えめで口数も多くなかったけど、そこにいるだけで空気がポカポカ温かくなるような、笑顔に愛情が滲み出ているそんなお母さんだった。
給食の調理員をしていた母。
小さい時は自分の通っていた小学校で調理員をしていたのでよく給食室に遊びに行っていた。
給食室に行くと母の同僚たちが私に「お母さんはねーよく働くのよ!」「よく笑って太陽みたいよ!」って言ってくれて。自分が褒められることより何倍も何倍も、母が褒められていることが誇らしくって、嬉しかった。
母の娘に生まれてこれて心から嬉しい瞬間だった。
そして、母は料理が上手だったし、編み物も上手だった。
3人の子育てで大変だったろうに、手編みのセーターなんかも編んでくれた。
愛情深い母の子育ては、今の私の保育にも大いに影響している。
子どもへのおもちゃは手作りの物を。温かく愛情深く見守る姿勢は母から学んだ子育ての基盤である。
私が私らしく生きてこられたのは紛れもなく、母の愛情に溢れていたから。
ー 私は、母のような愛情に溢れた保育がしたい。
保育士ベビーシッター
小西 なつき
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