#3 合わせなきゃいけない社会と社会に合わせたくないわたし
集団の中のわたし
昔から集団行動が苦手だった。
特に女の子同士の中にいることはどうしても違和感を感じてた。
別に集団の中の誰かとケンカするわけでもないし、集団の中にいることが嫌でもない。
ただ、違和感は感じてた。
今思うと、女子の中の集団が苦手だったのかもしれない。
人と違ったことをしたら仲間外れにされちゃうかも。
こんなこと言ったらみんなに嫌われちゃうかもしれない。
女子というのはみんな同じ、とか暗黙のルールというか、そんなものがあったような気がする。
そして、小さな時からずっと抱えてた違和感は
社会人になっても感じることになる。
保育の専門学校を無事卒業し、新卒で入った小規模保育園。
小学校からの夢が叶って晴れて保育士に。
初めての社会人。
好きなことでお金をもらえるという幸せなこと。
子どもに携われる仕事はとても楽しかった。
でも、やっぱり
社会の合わせなきゃいけない風潮は大人の世界にもある。
それは小さな頃の社会とはまた別の意味で。
ー 私は納得いかなかった。
どうして、みんなと同じ保育をしなくてはいけないのか。
どうして、自分の休みなのに自由に休みが取れないのか。
どうして「自分らしさ」を出したら嫌な顔をされるのか。
みんな、そういう日本独特の暗黙の領域がいつしか当たり前になっていて、
「仕方ないんだよ・・」と諦めるしかないと思ってる。
でも私はそんな社会にいつだって違和感を感じてた。
そんな中、30歳を機に渡ったオーストラリア。
今思うと、日本の社会を抜け出せることができたあの期間は本当に自由だった。
お金もなかったし、贅沢なことなんて一つもできなかった。
でも、あの時間だけは何にも変えられない私の人生の財産となった。
年齢を聞かれることなんてほとんどない環境。
子どももいてアルバイトなおじさんであっても鼻歌歌って楽しそうに働いてる。
タトゥーが入って強面なお兄ちゃんもベビーカーが来たら咄嗟に席を譲れる。
当たり前なんて一つもなかった。
みんな自由で、でもそれでいて互いにそれを尊重し合ってる。
あぁ、日本に足りないのはこれだなぁとしみじみ思った。
海外の保育を見て感じたものは、本当の意味の自由。
ありのままの存在を認めてもらえた子どもは、大人になっても自分らしさを貫ける。
人と違ってもいい、というか人と違ってて当たり前。
そんなことの一つ一つが、私の自由な保育を後押ししてくれた。
そうそう、私が感じていた違和感は
海外に出ればなんのことでもない。そんなことで悩むこともない。
だから今、私は自由に生きている。
私の子どもの頃のような想いをしてほしくないからこそ、子どもたちには自由で、ありのままでいてほしいと願う。
保育士ベビーシッター 小西なつき
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