上司との面談

社会福祉協議会について

僕は社会福祉協議会という組織にいる。
3年前に入職し、今年が4年目となる。
社会福祉協議会の主な事業としては、地域福祉と言われる地域の困りごと等を解決したり、地域をつなげるイベントを企画したりする仕事。ボランティア活動の支援、他にもこの組織の事業の範囲は多岐に渡る。
いわば、その地域の福祉に関する何でも屋さんという捉え方が1番わかりやすいかもしれない。
僕が所属する社会福祉協議会は

  • 地域福祉事業

  • 介護保険事業

  • 児童館運営

  • 特別養護老人ホーム運営

大きく分けてこのような形である。
僕はこの事業の中で、特別養護老人ホームに現在配属されている。ということになる。

なぜ社会福祉協議会に入ったの?

これは、単刀直入に言って
たまたま現れた選択肢
それが真実かな?
そこまで辿り着くのに説明すれば長くなるのだが、今回は僕の当時の思いも含めてここにまとめてみようと思う。

社会福祉協議会にたどり着くまでの道のり

ここからは保育から今にたどり着くまでの話。
少し説明が長くなる。
しかし、ここを説明しておかなければ、今に辿り着いた理由がしっかりと理解できないのでしばしお付き合い願いたい。

僕は大学で福祉の勉強を専門的にしていた。もちろん保育士と幼稚園教諭も取ったのだが、大学を卒業して就職したのは、実は最初は社会福祉協議会だった。
しかし、やはり保育がしたいと思い1年程で社会福祉協議会を辞め地元の保育園に就職した。

僕にとって保育は凄く大切で楽しい仕事だった。
一生続けていきたいそう思っていた。今でもその思いは変わらない。
じゃあそんな僕がなぜ現場を離れることを決めたのか?
保育の仕事をして、仕事外でも保育の仲間ができSNSでも保育の発信をして、僕なりに感じていたのは、こどもが幸せである為にはまずそれを支える大人が幸せであることが重要なんだ。その思いが強くなっていった。
保育者や保護者を含めた大人が幸福感を上げることがこどもの幸せに繋がる。
ではそれをする為に、自分には何ができるのか?
それを考えた時に、辿り着いた。
園長になりたい
園長として運営側にまわることで、保育者を支え、子育て支援のイベント等で培ったスキルで保護者も支えていく。
これが僕が考えた、僕にできる最高の近道だと思った。
園長を目指して就職し、単身赴任もした。
しかし、園側の都合で園長になる事はなかった。

自分の夢を追いかけて単身赴任をしたが、年中から年長になる娘を置いての単身赴任は想像以上に辛かった。
娘といられる時間を削ってまでやらなきゃいけないのか?
やらないくて良いとは思わないし、自分にはやりたかった。
しかし、それよりも先に優先すべきものがあるのではないか?
我が子に寂しい思いをさせて、大義もないのではないか?
そう思い、単身赴任をやめることにした。

前置きが大変長くなってしまったが、以上のような内容で僕は再就職先を探す事にした。

保育から離れる気は、この時点では実は全くなかった。
しかし、再就職先を探すうちに直面した問題は
保育所等に就職するのは、初任者と同じところからのスタートであるという事。
自分のワガママで単身赴任をし
自分のワガママで単身赴任をやめ
せめて金銭面でのマイナスは避けねば
というのが僕の思いだった。

保育での仕事の管理職も探したが、田舎にはなかなかない

正直もう打つ手がなかった。
そんな時だった。
はじめに就職した社会福祉協議会時代の先輩にたまたま再会したのだった。
実に10年ぶりだった。

諸々の僕の身の上話を聞くと先輩は言った。
今年度、うちの組織は正職員を募集している。ということを。
社会福祉協議会であれば、前歴換算もあり今と同等レベルの給料ももらうことができる。
でも保育を離れる決断をすぐにはできなかった。

思考を巡りに巡らせた。
自分がやりたいこと。大好きな保育のこと。
こども支える大人を支援するということ。

大人を支える仕事なら社会福祉協議会からもアプローチができるはず!
それは、1年間社会福祉協議会で働いていたからこそ掴めた感覚だった。

そこから考え方を切り替えて、社会福祉協議会に再就職する為に動いた。

就職面接で言われたのは
うちは特養もある。そこに配属になる可能性もあるが大丈夫か?と
その場で、それは困ります。と言う事はできなかったし、僕がやってきた保育での活動、この組織でやりたい事を自分なりに伝えることができたと思っていたので、まさか特養に行くことはないだろうと思っていた。

社会福祉協議会に再就職

社会福祉協議会への再就職が決まり、ひと安心していた。
しかし、肝心の配属先は、最もないだろうと思っていた特別養護老人ホームだった。
正直動揺もした。内定を蹴るかどうかも迷った。
しかし、新たな経験も自分の視野を広げると前向きに捉え、介護の仕事を始める決心をつけた。

介護4年目に至るまで

1年目。必死に仕事を覚え、夜勤までこなせるようになった。介護未経験からのこれは我ながら凄いと思った。
異動の期待を持ちながら1年頑張ったが、翌年度の異動はなかった。

2年目。ここ乗り切れば来年こそはと思って頑張った。日に日に保育への思いが募る。2年目の終わり、今度こそと内示を待ったが、またしても異動はなかった。

3年目。そろそろ限界に達し始める。しかし、ここ頑張ろう。と自分を鼓舞し続けた。いつの間にか、自分の志も忘れかけていた。
そして3年目の終わり。またも異動はなかった。
自分の中で、張り詰めていた糸がプチンと切れた。

4年目。この組織は、僕の事なんか考えてやしない。この組織の為に、そんな考えを持つのはやめた。希望を持つのも辞めた。来年度異動がなければ絶対にやめる。この組織に僕の何物もくれてやるものかと完全に心を閉ざした。
仕事は全くやる気がなかった。
しかし、責任感と義務感だけは保育の頃から染み付いているので、やる気はなくても体はしっかりと動くのだった。おむつ交換もキッチリ行える。
そんな心と体のチグハグに気持ち悪さも感じていた。

そんな時だった。

上司との面談

上司との面談があったのだ。
僕はこの際だから、思ってる事を全部ぶちまけてやろうと思ってた。
完全にファイティングポーズ。
僕には現在、3つの資格の受験資格がある。
社会福祉士
介護福祉士
介護支援専門員
以上の3つだ。再三この資格を取ることを言われていた。
しかし、組織が僕の事を考えていないのに、何故僕が組織の為に資格を取らなければいけないのか?取ったところで、あいつはあの資格を持っているから。と僕の意向は関係なく異動になるのだろう?
その旨をぶつけるつもりで臨んだ。

しかし面談は意外な方向に進む。
大学卒業時就職していた際に可愛がってくれていた先輩数人が、今の僕の直属の上司に幸伸を気にかけてやってください。と言ってくれていたらしい。
そして直属の上司も以前就職していた際に僕に指導をしてくれていた方だった。
そんな上司は、今年度の僕を見て思ったそうだ。
メンタルを壊しかけている人の目をしている。目が死んでいる。
と。
だから、どう声をかけるか非常に考えていたと。頑張れは絶対に違うと。
僕はその話を聞いて、わざと閉ざしていた事を話す。
目は死んでいたのではなく殺していたのだと。

そこから僕は、どれだけ保育が好きか、どんな思いで保育をしてきたか。保育を通じて地域を巻き込んだ子育て支援がしたい。そう思ってここに再就職したのだ。と
気付けば職場で出す事のない熱意で保育や子育て支援について上司の前で延々と喋り続けていた。

それを聴き終えた上司は言った
「君は本当にそっち側(保育)の人なんだね」
決して後ろ向きではない反応だと言う事は手に取るようにわかった。
今まで君の思いを聞けずにすまない。そのような感情が込められているような気がした。

僕は
あ。わかってもらえたんだ。
保育者ゆきちゃんを理解してもらえたんだ。
その感覚がジワジワと自分から湧き上がっているのを感じた。

どんな思いで介護をしてきたのか、今回ここに書いたことをそのまま伝えた。
上司は深く頷いた。
僕がこの組織でやりたい事
地域から子育て支援を盛り上げていきたい。
それは社会福祉協議会だからこそできる。と言う言葉ももらえた。
希望の光が見えた。

そして、組織が大きいだけに僕の事を知らない人たちも大勢いる。その中で、僕の事を知っている人たちが僕を推す為には「人柄」だけでは弱い事。それにプラスで資格があるとプッシュしやすいという旨を伝えられた。
なるほどそれには納得だった。

これからのこと

希望を捨て、ただ淡々とこなす事に徹していた自分だったが、まだ捨てなくても良いのではないかと思えた。

自分の意図しない仕事をするには、自分を鼓舞し続けなければいけない。
それも辛かった。

上司から君の人間性は、人が好きと言うのが根底にある。
君には笑顔が似合っている。
そう言われ、意図的に閉ざしていた心を開いても良いのではないかと思えるようになった。

自分らしくここでこの1年頑張ってみよう。
そう思た。

やりたい志の炎は
まだ消えちゃいない。

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