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保護者のちから

保育園で、発表会の衣装が必要以上に豪華だったり、制作物に保育者が手を加えて見栄えよくしたりと、見栄えを重視した保育がなされてしまうことがある。

もちろん、ここでまず大切なのは、保育者のちから。保育者が、子どもが衣装を着ることの「ねらい」、子どもが制作をすることの「ねらい」をしっかり持ち、そこに立ち戻ることができれば、たとえ保護者が「来年の衣装も楽しみにしてます!」という感想をくれたり、「今月の制作物はこれだけですか?」などとクレームを言ってきたりしても、それに振り回されずに「こういうねらいを持って保育しているのです」と専門性をもってしっかりと保護者に説明できる。
しかし実際には、保育者自身が見栄えのよい保育で達成感を得てしまうことが多いと感じる。また保育園運営の視点からできるだけ保護者に満足してもらいたいという力も働き、「保護者向けサービス」としても見栄えを重視した保育がされ続けてしまう現実がある。

そこで大切になるのが、子どもを預けている保護者のちから。豪華な衣装、見栄えのよい制作物など、サービスをされると、ついつい手放しに「可愛い!」「うれしい!」と喜んでしまう人もいるかもしれない。しかし、その態度が、保育園の「保護者向けサービス」を加速させてしまっているのかもしれない。保育園で子どもに豊かな経験をしてほしいのであれば、保護者側から「見栄えは求めていませんよ」と発信することも大切。見栄えより、子どもが何を経験しているかが大切だと言えるちからを、保護者も付ける必要があるのだ。


先日、息子の保育園で小さいことだけど気になったこと。2歳児クラスになり「シール帳」の活動(登園するとその日の欄にシールを貼る)が始まった。活動自体はいいこと尽くしで大賛成。ただそれに伴い、そのシール帳に付いている「身体発育表」「出欠席表」などに毎月記入するので、確認したら印鑑を押してほしいとのお知らせ。身長体重や登降園履歴は「コドモン」というアプリで残してくれているから全く必要ないのに。完全に二度手間。身長体重の記入など一つ一つは大したことない仕事かもしれないけど、塵も積もれば。こういった不要な書類仕事を増やす体質は、必ず保育の優先順位にも影響する。
「保護者へのサービスなのであれば、私は必要ないと思っていますよ」と園長先生に伝えてみたいと思う。これまでの出来事から推察するにおそらく法人として複数園で統一されていることなので、なくなりはしないだろうけど、「保護者向けサービス」を施す運営側に「求めていない保護者もいる」ことが伝わること自体にきっと意味がある。


※この記事は、「ぷっぷ」のお茶会~よりよい保育を目指して語り合おう~で学んだことを元に書きました。
お茶会に関心のある方はぜひお気軽にご連絡ください。


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