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保育の質

YouTubeで毎日ラーメン健康生活というキャッチフレーズで動画投稿をされている方がいます。僕は勝手に毎日ハイボール健康生活を送っていて、健康診断で肝臓C判定くらって、やっぱり健康じゃないじゃんって落ち込みながらハイボールを今日もすするディー先生です。

公式LINEに友だち登録してくださっている皆さん、改めましていつも応援ありがとうございます。今日のテーマは「保育の質」について。

「保育の質を高めましょう!」って言ったことある、または言われたことある人ー?心の中で園児ばりに「はーい!」と手を挙げた方、最後までお付き合いください。それではいきましょう!

保育の質に答えはあった。けど…

保育に答えはない。というのも良く聞きますし、保育業界流行語大賞に輝いているであろう「不適切保育」は論外ですが、基本的には保育に答えはないと思っております。誰かが言っていました「100人いたら100通りの保育がある」まさにその通りだな、と。

がしかし「保育の質とは」とネットで検索すると厚生労働省様が答えを掲げてくれているんです。見たことありますか?その表現は

子どもたちが心身ともに満たされ、豊かに生きていくことを支える環境や経験のこと

とされています。なるほど。なんとなく分かりますよね。

ここで質問します。「わっかりやすーい♡」ってなりました?

僕はならないんですよ。でも定義がこれなんです。でも100人いたら100通りの保育があるように、この表現の捉え方、認識も人それぞれ。恐らく同じような思いを持っているんだろうけど、表現の仕方は人それぞれです。

保育者の「察する力」が共通認識の妨げになる

先に述べた「なんとなく」保育者はこの能力に長けてると思います。どういうことかと言いますと

「あの先生がこういう動きしてるから、私は今こう動こう」
「今は〇〇の時間だからこの準備をしておけば上手く回るだろう」

などと言葉を出さなくてもクラスの先生たちは空気を読み合って保育に当たっていると思います。連携がとれていると感じるのも、そういったやり取りが上手くいっているからという部分もあると思います。

でもその能力は「保育の質を高めましょう!」と言ったときに「なんとなく」で通じ合ってしまう。なんとなくで理解できてしまう能力のせいで、保育の質というのを理解し合っている気分になってしまうと僕は感じています。

言語化することの大切さ

保育の質だけではなく、保育業界って抽象度が高い世界ですよね。それぞれの人生経験や保育経験が、その人の主観となってその人の表現で生まれてくるので、ピッタリ答えが合うなんてことはそうそうない。

「保育の質を高めましょう!」と言った、言われたときに

「僕が思う保育の質ってこう思うんですけどどうですか?」

この質問があってお互いに保育の質について話し合えれば、ズレが少なくなると思うんです。ただ「なんとなく」分かってしまうから、そういった質問をする必要もないと勝手に判断してしまっているのかなと思います。

ですから、問われることを待つのではなく自分から問いかけ、話していくことが大切なのかと思います。となってくると「僕なりの保育の質」を言語化して話せるようにしておく準備が必要だと思うんですね。

保育の質だけではなく保育の狙いや、子どもの動きややり取りへの考察も日頃から言語化できるようにしておくことも必要だと思います。それが出来ると保護者との対話にも役立ちますしね。

僕なりの「保育の質」とは

本題です。僕が思う保育の質とは「人間力」だと思っています。

保育業界って抽象度が高いですよね、と言った割にお前も抽象度高いやないかい!という声が聞こえてきそうなので、ここから細かく言語化していきます。

人間力は3つの要素があると考えています。

1.多角的視点力

文字通り、物事を色々な視点で見るということ。例えば
「A君とB君が玩具の取り合いをしていてA君が泣いている」場面があったとしましょう。

若かりし頃の僕だったら「B君!何したの!?」とのっけからB君がA君を泣かせた、B君が悪い!みたいな決めつけで関わりにいっていました。

でも多角的視点力を持っていれば「A君は元々貸し借りの約束をしていて、その約束を破られて悲しいのかな?」「A君が最初に取ってしまって、B君が取り返したのかもしれないな」という考えが巡る。すると、決め付けてから関わるということが解消されるかと思います。

大人同士も同じ。

A先生に挨拶をしたら、暗かった…

それを受けた他の職員は「あの態度何!?」とかなんとか言ってコソコソ悪口大会開催。みたいな。

でも「何か事情があったのかな?」「何か悩み事でもあるのかな?」と思えれば「大丈夫?何かあった?」となり、その人も救われる。もちろん、関係性もあれば、本当に嫌な人(笑)かもしれないですけどね。でもいずれにせよ、裏側まで考えてあげることは大切なことだと思います。表面を切り抜いて判断しないということですね。

2.自分に矢印を向けられる

子どもが全然活動に入ってこない、話を聞いてくれないってなったときに

「この子たちは集中力がない」「気持ちの切り替えが出来ない」なんて声を聞いたことがありますし、僕も実際思ってしまったことがあります。でも、見通しが持てる声掛けしたらよかったかな?そもそも俺、話し下手?環境設定見直そうかな?とまずは一旦自分に矢印を向ける。

大人同士もそう。自分の言い方が悪かったかな?何かしちゃったかな?

振り返ることで保育のスキルアップにもつながりますし、コミュニケーション能力も少しずつアップしていくんじゃないかなと思います。

そもそも、毎度毎度、悪口大会の主催者に人望はないですよね。

3.失敗の価値を知る

子どもがお皿を落としてしまったときに

「何やってるの!」なんて…言いがちですよね…。

大人もそう。行事の進行が上手くいかなかったとか、もちろん先ほどの自分に矢印を向けることも大切ですが、その時に周りの人に悪口言われたり、笑われたりしたら、目的が「文句を言われないため」になってしまいます。

子どもも大人も、そんな雰囲気のところで思い切って、楽しんでパフォーマンスなんて発揮出来ないですよね。

何かあったときに「次から気を付けよう!」「どうしたらうまくいくか一緒に考えよう!」子どもも大人もそんな関わり、やり取りが生まれる環境であるといいなと思います。

以上3つが「人間力」であると考えています。

そしてこの人間力が備わっている人たちがお互いがお互いを尊重し、保育を高め合っていける。それが「保育の質」であると僕は考えています。

まとめ


つらつらとお付き合いいただきありがとうございました。皆さんは「保育の質って何だと思いますか?」と聞かれたら何と答えますか?今のところ分からないでもいいと思います。この記事がヒントになったら嬉しいですし、他の人のSNSだったり、実際の会話の中だったりにヒントがあるかもしれない。

「なんとなく」の理解で終わらせることなく、色々な人と会話をすることで引き出しを多く持っていたいと僕は思っています。

みんなの保育が、保育ライフがより良く、楽しくなりますように。
それではまた♪




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