貧乏人はハマりこむ

早く自由になりたい!!

って会社員の頃考えてました。

よく目にしたのが

「ラットレースから抜ける」

的なもの。

でも、会社員を辞めてある程度のお金があって…という人でも別のラットレースにハマってる人も沢山います。

スコアリングです。

自分より金持ってるとか、社会的ステータスが高いとか、側からみて成功してるとか、大家さんだと規模が大きいとスゴイとか。

資産を数値化してどこかで他人と比べています。

様々な社会的階層の人々に会うことがありますが、どこか窮屈そうな方々が多いと思います。

自由、幸せ、裕福、快適とか様々な定義のポジティブ度合いを測るスケイルがありますが、とにかく「今の環境から上へ抜け出したい」というイメージがそれぞれにあるようです。

僕も長い事そこに多少なりとも囚われていました。今もそうなのかもしれません。

「何のための人生かな?」
「僕の人生の意義はなんだろう?」

と考えた時に現時点での僕の答えは一言で言えば「社会貢献」になると思います。

ものすごく聞き慣れた言葉なのでどんな意味かを正確に理解することは難しく感じます。

頑張って説明してみると、

・次世代に何かしらポジティブなものを遺す
・必要とされる場所で雇用を創出する

これを国内外に日本として少しでも良いイメージで貢献する。

身近な次世代がいずれその残滓を感じた時に「いいな」と思ってもらい、良い循環、サイクルを繰り返して欲しい。

地図上だけの世界ではなく、「世界」において誰も認識できない程度の小石だろが波紋を広げてみる。続ける。

そんなもんかと思います。人生の価値は良いこと悪いこと足し引き300円くらいかもしれない。じゃなきゃ、クソ袋程度なもの。なので、結局自分というものはほとんど誰も認識すらしないsomebody であり、たかが自分の事なんて世の中誰も知りやしないわけです。

だからこそ、各階層毎にあるつまらないラットレースにハマってる場合じゃないかな〜?と思います。

ソーシャルクライマーは居ないと世の中不便なのでそういった方々には頑張ってもらい、自分は

1、家族
2、主に仕事パートナー
3、仲良い人

という優先順位の中で金になる、ならないを優先順位にせずにいきたい。

もちろん、お金を稼がないと家族の快適な生活を保障できないし、雇用の創出もできないので頑張ります。

でも、自分の為に使うというところは満足度が低いので重要視しません。

家族や他者の何かしらのインフラ整備に使います。

仲間が他人に金を返すために商売して返したいが金がないというので資金とノウハウ提供もしたりしてます。

1円にもならん事で他人の資金繰りをマネジメントして責任だけ負ったりと随分とバカなこともします。

自分自身のお金を稼ぐことに対して大きなモチベーションが持てないのです。

面白い事はやりたい!!!

面白くて意義のある事でどうやって利益を出してゆくか??

そこかな?と。

自分が臨終に際し、持てるものは胸の中にある想いのみ。あとは、自分の有るか無きかの足跡のみ。

こういった文章も即埋もれて消えてゆきます。しかしながら、アウトプットしていると胸の内と頭の中が整理されてゆくのでたまに書き込みます。

※貧乏人の定義
現状の自分が常に貧しく感じ、乏しく感じる人のこと。金の多寡ではなく精神の置き所の話

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