ママが小さくなる日

何処に行くにもついてくる我が子たち。トイレに行く時すら子はママが居なくなると思うのか泣き喚く。

子どもの世界の中心にママがいてオマケのようにパパもいる。子どもはママを通してしか「世界」に触れられずママが世界で世界がママだ。

保育園や幼稚園に預ければ数時間もらえる。その時間で仕事をしたり家事をしたり今週の予定を確認したり、小学生の子がいれば「宿題やったのかな?」「明日の準備はできてるのかな?」「学校からのプリントの見落としなないかな?」をチェックしなければいけない!

学校から帰ってきた子たちは靴下も服も脱ぎっぱなしで部屋が片付くこともない。片付けても片付けても汚れる。拭いても拭いても汚れる。洗っても洗っても汚れる。終わりが見えない世話にウンザリした頃に下の子のお迎えに行かなくてはいけないし、上の子の習い事の送り迎えもしなくてはいけない。

「あと数年すれば…」

そう。きっと部屋は少しずつ片付き始め、子たちの手はかからなくなってゆき、ご飯も外でお友達と食べてきたりするようになる。

その頃私は年を重ねて若さは失われている。あれだけ手がかかった子も外にいる時間が増え、お世話の時間と引き換えに子どもたちは自分の世界を形成し始めて「ママ」は世界の中心から隅っこへと追いやられてゆく。

ママやパパはお母さんとお父さんに変化し、世界の中心から遠く離れたとこに居場所を移す。

洗濯物も減り、食事の準備も子どもたちの好きなものを考える機会が減る。たまに夫婦で外食した時は子どもたちの大好きだったメニューが目につく。そして子どもたちの騒がしくてカオスそのものだった育児の思い出を夫婦で目を細めて語り合う。

そんな時が必ず訪れてしまう。

だから育児の真っ只中を掌中の砂つぶのように慈しみたい。僕はパパだけど、きっとママは僕よりも君たちを愛しているし、僕の10倍疲れていると思う。

だからこそ僕は君たちの中で小さくなってゆくママを僕の世界の中心に置いて大事に愛したい。父であり夫でもあり男でもある僕はたぶんそんな理由で存在してる気がしてる。

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