てをつなぐ
僕らパパは手を繋ぐ。
8歳の長男とは最近繋がない。7歳の次男はいつも手を繋ぎたがる。
8歳の長男はいつも次男が手を繋ぐから我慢してるのかもしれないし、単にもう恥ずかしいのかもしれない。友達といる時は自分のことを「俺」と呼ぶようになってるし。まあ、家では自分のことをまだ名前で呼ぶが。
三男のKすけさんとも手を繋ぐ。腰を屈めないと繋げなかった手も最近は腰を屈めなくとも何とかいける。
Kすけさんの手はまだまだ小さく、僕の手のひらは大きすぎて指の方がマッチする。指は短くて柔らかい。彼は足の裏ですらふっくらしている。
長男と比べてもフワフワしていた次男の手も最近は子どもの男の子の手になってきた。
長男の手を握ろうとすると少しはにかみながら握ってくれる。その手は少しゴツゴツし始めていて格闘技のせいか、年齢よりもいかつい手であるように感じた。その男の子らしい手には彼の努力と練習で流した涙が宿っている。
それぞれの手にはそれぞれの人生の歴史と生命が宿っている。
先日、とても久しぶりに奥さんと近所にお出かけした。彼女と2人で出かけるのは久しぶりで、近所ですら行くチャンスはなかった。目的地に向かう途中、彼女は腕を組みながら手を繋いできた。
少し恥ずかしかった。
でも、そっと身を寄せてきた奥さんは「わたしだってまだ女の子よ」と言っているようで握ってきた手をしっかりと握り返した。
10年以上前にまだ付き合っていた頃。マニラ市内でお出かけしてたころに握った手は小さくて柔らかい女の子の手だったことを覚えている。マニラでは手足でその子の出自がわかる。貧困層から来ている子は若くとも手が洗濯炊事で荒れている。貧困層には洗濯機がないのでいまだに板で洗ってるからだ。
水害、洪水が頻発するエリアに住んでいる子は膝下がバクテリアに喰われていたりして荒れている。日本の洪水と違い、向こうの洪水は漆黒のドス黒い色だ。それだけ、汚い。
彼女の手は少し荒れていたけどまだ辛うじて「女の子」の手であった。
奥さんの手はザラザラしていて、少し固かった。
その手が「あなたの見てないところでわたしは沢山家事をしてるのよ」
と言っているようで、彼女が握るよりも少しだけ強い力で握り返した。
日本語のわからぬ彼女がマニラで長男を出産し、半年後に乳児を抱えて日本に来た。まだ女の子であった彼女が日本語を勉強しながら子育てをするのは並みの女の子では難しかったことは想像に難くない。
美容院や歯医者や産婦人科まで日本語が不自由という理由で断られたり、道を歩けば上から下まで好奇の目で見られることも多々あった。中年男性に突然罵声を浴びせられることもあった。不審な男にあとをつけられることもあった。
友達がおらず、孤独と闘い、時には共存しながら毎晩泣いていたことを僕は知っている。
お出かけ途中で繋いだ手は「せめて手くらいつないで女性として扱って」と言っているようで、僕の中の何かの罪悪感がチクリとした。
彼女は日本語検定3級をとり、日常生活は日本語で出来るようになり、僕らの会話も次第に英語から日本語になってきたように思う。
僕らはついつい「無いもの」を見て周りに「有るもの」を見てしまいがちだ。
でも、本当は「有るもの」の方が圧倒的に多くてその中には「無くしたらいけないもの」も時に見失ってしまう。
その事に気がつき始めたのは40代半ばだ。何とも時間がかかったもんだ。でも仕事をしてるとそれでも見失うことがある。
だから最近は忙しくとも立ち止まることを覚えた。
身体は動いていても心は立ち止まれる。
そしてもはや自分自身の一部であり、全てでもある「有るもの」を感じることが出来る。「無くしてはいけないもの」を「有るもの」として感じるとそれだけで涙が出るほど有り難いもんだ。
そんな僕を見て奥さんは見ないふりをしてる。そんな彼女と手を繋いでお出かけする日が楽しみである。
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