理系こそが正義であり文系教科が不要である理由
はいどうもゆななんです。今回は文系教科が不要である理由について話す。
まあ特に国英の点数が低いんよね。勉強不足であるのは否めない。だけど社会生活において全ての基礎になっているのはどっちかというと理系教科の方が比重がでかいと思う。
社会の基礎
まずこの世の技術は何でできているのか。エレベーターも電気もスマートフォンもすべて理科の力を使っている。社会で貢献してきた度合いで言うと理系教科が強いんです。また関数もあらゆる図形を作れる。つまり形というものも関数があるから成り立つのだ。国語などの文系教科はこれらの相互性で成り立ってると思う。意思疎通を図るため言語が生まれた。別に最低限の意思疎通ができれば問題ないと思うし実際会話は成り立ってる。最低限の能力があれば成り立つし英語も今やAI翻訳などを使えば簡単に訳してくれる世界である。それを簡単に訳せるようにしたのは何か。それは科学技術の存在である。世の中が便利になる=理系という式が成り立つ。ましてや国語の文章読み取りは社会に一切貢献してないと思う。
優秀な人材を確保できない
理系は社会の基礎に貢献している。しかし国語などの文系教科ができずに試験で落ちてしまいランクの低いところにってしまうのは社会の欠陥だと思う。国語のせいで共テ足切りとか絶対考えたくない。そしてそれは社会の利益になる人を捨ててしまうことなのである。
人望ない
国語で僕は偏差値27を取ってしまった。人生が終わった感じがする。国語ができないことにより周りに対する劣等感が。怒りの文章を書いている僕が辛くなる。サブタイトルの「人望ない」は国語できない人は社会的に抑圧されると言うことだ。国語できない人は本当に言葉の語彙がない。コミュニケーションが円滑に進みづらいため人間関係が形成しずらいと感じる。
理系こそ正義っていう議題から逸れてしまったけど。3か月開けて書いたから仕方ないか…。
結局文系教科重要じゃね?
僕は結局社会的にまともな人にさせるために国語が存在すると思う。これで今の世の中に対する健全な教育だ。
つまり国語→社会不適合者を作るのを抑制する教科である。僕はこのフォーマットを変化させたい。この国語教育はまともな人という形を作った洗脳教育なのだ。この洗脳から脱せたのが国語苦手とする社会不適合者なのだ。僕はこの教育を変えていきたいと思う。この腐って飽和した日本教育を。