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わし流 にいがたブラタモリの旅 その2 「亀田砂丘の遺跡 〜縄文時代編〜」

ふと、わが地元亀田で発掘された遺跡を見たいと思い、亀田郷土資料館へと足を運んだ。以前は遺跡になんてまったく興味のなかったワシである。

それがなに、何千年という気の遠くなりそうなほどの長いあいだ地中に眠っていたものが、現代になってよみがえるという様を想像すると、なんだろ、静かな感動を覚えるのだ。これもブラタモリの影響だろう。

資料館に到着して、さっそく展示されている遺跡を鑑賞し始めた。撮影OKなのでスマホぱしゃぱしゃしながらね。しばらくすると、ワシがあまりに食い入って見ていたせいか、館長さんに声をかけられたのである。その館長さんからの第一声、衝撃の言葉が飛び出す。

「新潟で一番最初に人が住み着いた場所はこの亀田なんですよ」

な、な、なにぃ〜〜〜ッ!、てことはだよ。亀田は新潟人発祥の地ということになるではないかッッ! いやなに、この衝撃よッ。

たしかにここ亀田砂丘からは縄文土器が多数発掘されている。これは縄文時代には人が住んでいたという証拠である。

そして調べてみると、どうやら縄文時代の前の旧石器時代の人類は、狩りをしながら移動して生活していたというのだ。そして縄文時代になってから、人類は定住し始めたという。ようするに、縄文土器が発掘される場所は、人が初めて住み着いた場所でもあるということだ。

たしかに縄文時代の亀田は海岸沿い。また周囲には信濃川と阿賀野川が流れている。魚などが豊富に採れて水も豊富。しかも砂丘の上なら水害からも護られる。住むにうってつけではないかッ。うん、たしかに館長さんの言葉はうなずける。

そうなんだな、亀田は「新潟人発祥の地」なんだな( ← ド素人の勝手な妄想だけど……)。ってことはだよ、みなさんのご先祖様をどんどんたどっていくと、最後は亀田に行き着く人も多いはず。すげぇな亀田。

「亀田はロマンだッ✨」

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縄文時代の江南区亀田

江南区に最初に人びとが住み始めたのはここ亀田砂丘で、なんと縄文時代前期の初頭から。

縄文時代は約1万年続いたとされ、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6つの時代に分けられるそうだ。その3番目である前期の初めからだから、本当に古くから亀田には人が住み着いたんだな。


縄文時代の新潟

縄文時代の新潟。そして赤い点が亀田。なんとなんとッ、縄文時代の亀田は海岸沿いである。そしてその海岸に沿って砂丘ができたという。両川〜茅野山〜砂山〜藤山〜蔵岡のラインで砂丘があったようだ。

縄文時代の遺跡の発掘地点

赤い点が縄文時代の遺跡が発掘された場所。このように砂丘に沿って発掘されている。こうして見ると、赤い点に砂丘があったのだから、縄文時代の海はおそらく今の亀田駅あたりまであったのかな??


砂崩遺跡 

砂崩遺跡(すなくずれいせき)。現在の砂山付近。ワシ、この前ここブラブラ歩いたがな。縄文時代中ごろの土器が発掘されたんだな。

砂崩遺跡


砂崩遺跡


笹山前遺跡

笹山前遺跡(ささやままえいせき)。現在の蔵岡付近。縄文時代の初めから平安時代にかけての遺跡。古墳時代の層からは竪穴式住居が見つかる。


石錘と漁の様子

石錘(せきすい)とは、魚を採るときの網の重り。縄文時代の蔵岡は阿賀野川沿いでありながら、海沿いでもある。つまり河口付近になるんだな。きっと魚たくさん採れたんだろうな〜。


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