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考えごと日記その17 「アヘン戦争から解放まで」を読んで、中国の反日感情の根底を考える

ちょうど今、日本の処理水海洋放出に対して中国の反日行動が活発になっているが、その反日行動の根底にあるのはやはりここだろう。1937年から45年の日中戦争だ。

1931年、日本は満州国を建国。このことによって中国は、かつてないほどの大きな領土を失うことになるのだった。そして日本も国際的非難をかわすために、日本の植民地としてではなく満州国としたのだ。

その満州国を統治する関東軍は、その満州を拠点にしてさらに勢力を伸ばそうと中国全土に侵攻を開始する。そして1937年、北京で日中両軍が激突(盧溝橋事件 ろこうきょうじけん)。日中戦争のぼっ発である。

中国にとって、これまではまだ列強の半植民地だったのが、日本によって本格的に植民地にされようとする歴史上最大の危機に直面したのだ。当時の中国内部でも国民党と共産党が争う内戦が起きていたが即座に中止、協定を結びともに日本と戦うことになった。

日本は中国全土への侵攻に必要な石油を求めて仏領であるインドシナ半島へ派兵。それに対して米国が石油輸出禁止と撤兵要求(ハル・ノート)。それがもとで太平洋戦争ぼっ発。

つまり太平洋戦争と日中戦争はつながっていて、中国にとっては日中戦争が第二次世界大戦といえるのだ。一時期、太平洋戦争を研究したときがあったが、そのときはハル・ノートから終戦までを対象とした。しかし日中戦争もつながっていることを知ったいま、満州国建国から終戦までをあらためて研究し直したいと思う。

ともあれ、いまの日中関係に対していろいろと報道されているが、根底にあるのはこの時代の出来事に対しての国民感情が反日としてあらわれているのだろう。こうしてあらためて歴史を知ると、ボク個人的な思いとしては非常に複雑である。

……

ついでながら、満州国の初代皇帝はあの「ラストエンペラー」で有名な清国最後の皇帝、溥儀(ふぎ)だ。満州国は日本の支配国ではなく独立国だという体をしめすための就任だった。よって溥儀は形だけ担ぎだされただけで、実際は日本人の言いなりだったらしい。

こうして歴史ビギナーによる歴史探索はまだまだつづくのであった。




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