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推しの「好きな人ができたらどうする?」への回答にうろたえたのは何故なんだろう

【うろたえる】思いがけない事に驚き、どうすればよいかが分からず、まごつく。[グーグル日本語辞書]
まさしく、女性誌インタビューでのJO1・豆原一成さんの「好きな人ができたらどうする?」への回答を読んでから数日間の私の様子のことである。
ってかJAMわりとみんな(バカデカ主語)、程度に差はあれど困惑しませんでしたか?
なんたって、赤子や豆柴やと愛でてきた19歳のマンネからとび出たのはこんな赤裸々アンサー↓

Q.「好きな人ができたらどうする?」
「『好きです、付き合ってください』って言います。高校1年生のときに言ったことがあります」

出典元:『エル・ジャポン』1月号特別版 p.274〜275 (※)

高校1年生のときに言ったことがあります高校1年生のときに言ったことがあります高校1年生のときに言ったことがあります高校1年生のときに言………
「国民の初恋」の異名にたがわぬ、どストレート青春果汁100%の告白台詞もさることながら、この一文のパンチ力たるや!!!

(※雑誌の引用て著作権的にOKなのか文化庁のページとか色々調べまして、今回の引用方法なら適法要件を満たしていると判断しました)

はじめに断言しておくと、私の豆ちゃんへのまなざしは「リア恋」的なそれとは程遠く、どちらかというと離れた場所に住む祖母が孫の成長を見守るような感覚に近いと思う。それなのに、もしくは「だからこそ」なのか、この回答にはなんか、ショックというか、いやショックとは違う気がするけど、超ざわざわする!?なにこの感情???となって、うろたえている自分にもびっくりした。
それから数日間は豆ちゃんの写真や動画を見ると「高校1年生のときに…」と思い出してしまうし、前の週に幕張で観た生の豆ちゃんが "可愛い" より "漢" な印象が強かったことも相まって、これまでほとんど意識していなかった「異性としての推し」が現前し、しばらく困惑してしまった。

このことをJAMの友人たちに相談したところ、やはり友人も「もはや別人に見える」とのことで、「変わらないでー!!」「豆『変わっていくの〜が 楽しいだけ〜🎶』」「待ってー!!!」などとやりとりをしているうちに、ふと我にかえった。

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そう、友人の言う通り、豆ちゃんが変わったわけではなく、われわれ側の見えるレンジが広がっただけ、自分の中の "アイドル・豆原一成" の人物像が再構成されただけにすぎない。豆ちゃん自身はずっと豆ちゃんで居続けている———ほなべつに特別なことと違うかあ、と客観的に事実を受け止めることができた。今は通常運転に戻りすこやかにオタクをしている。

それにしても、ただそれだけのことに何でこんなにうろたえたのか?「恋愛観」+「経験談」のダブルコンボが「リア恋」じゃない自分にこんなに効いたのはなぜ?
ぐるぐると考えているうちに、そもそも自分は、男性アイドルに何を求め、彼らの何を見ているんだろう? アイドルってなんなん?!とかいうことを一旦整理してみたくなって、言語化することにしました。

“男同士の絆”を、彼らの関係性の枠外から拝むオタクたち

まず、ファン→アイドルへのまなざしとは、一般的にどういうものなのか知るべく、学術的な観点から分析している先行研究を調べることに(卒論を書いている?)。

まず、雑誌『Myojo』の内容分析を通した、現代の男性アイドル像に対する研究(西野,2014)。
・「女性ファンにたいする男性アイドルのもっともオーソドックスな役割の一つが、女性ファンにたいする仮想的な恋愛の相手」(とジャニーズアイドルの先行研究においても指摘されてきた)
・女性読者が男性アイドルとの恋愛関係を想像できるような記事もみられるが、全体的に異性愛に関する言説は少ない
・「他の項目にくらべて「男性同士の友情」「グループの絆」「身体の接触」の頻度が高いことから『Myojo』の言説空間では女性(読者/ファン)の存在が“男同士の絆”の枠外に置かれていることを指摘できるだろう」
とのこと。

研究対象が2012年度の誌面とちょっと古いけど、基本的にこの構造は変わっていないように思う。「彼氏にしたい」とか「もし恋人だったら」とか、必ずしも異性愛の図式に推しがあてはまるわけではなく、メンバー同士のわちゃわちゃ感やケミ・シンメを、オタクが彼らの関係性の枠外から見つめる構造になってんね、そこに需要があるよね、てことだと解釈した。
たしかに、日プのオーディション中から、彼ら同士の関係性をエンタメとして消費している自覚はあり(番組演出的にもそうならざるを得ないし)、そのことにどこか申し訳なさを感じることすらある。JO1は11人・55通りのペアの組み合わせ=ケミが存在し、すべてもれなく妖怪ケミ狂いが彼らを丸呑みしているイメージなので(失礼)、「ケミとかあんま興味なくてひたすら〇〇くんリア恋です!」みたいな人って実際どのくらいいるんでしょう。與那城奨さんはプラメなどで「仮想的な恋愛の相手」を自ら積極的に演じることが多いけど、あくまで仮想恋愛としての虚構性にオタク側も自覚的なので、多くの場合きっと「リア恋」とは違うよなあと思う。

少なくとも自分は、仮想ですら推しとの関係性を異性関係に落とし込んだことはなかったし、「好きな人ができたらどうする?」の回答にざわついた気持ちは、失恋・嫉妬といった恋愛感情に起因するものではないことは確かだ。じゃあ、メンバー同士の関係性を見守ることにオタクとしての生きがいを見出してるのはそうとして、推し個人についてはどのように解釈しているんだろう?ということで、ほかにも論文を読んでみた。

アイドルの「キャラクター」性と「偶像」性

現代のアイドル像に関するある研究(西条・木内・植田, 2016)では、「現代アイドルの魅力は,具体的な素の存在に基づく「現実空間」における「キャラクター」性と,アニメやマンガ のキャラクターに通じるように,類型化されたイメージの中から選び取られた「仮想空間」における「偶像」性の二重構造を持っていることにある。「現実空間」における「キャラクター」と「仮想空間」における「偶像」が合致した時,アイドルの魅力は一気に高まる。一方,その乖離が露呈すると,虚構性が興ざめ感を惹起する危険性も兼備する」とのこと。

ほう・・・? わかるようなわからんような、てことで豆ちゃんに当てはめて考えてみる。たとえば豆ちゃんの魅力のひとつのキーワードは "主人公" 感で、

【「現実空間」における「キャラクター」性】
・田舎の普通の高校生がダンス歴約3年で日プ参加→ユニットではなくソロで難易度の高い課題曲をこなす→Aクラス入りを果たした無名の実力者
・「豆原一成」というお名前で、豆柴に似たお顔。そして名前の通り「一」つずつ目標を「成」しとげていこうとする真面目な努力家
✖️
【「仮想空間」における「偶像」性】
少年マンガ・アニメの主人公

つまり、現実としての素の「キャラクター」が、国プ各々が思う "主人公" としての「偶像」と合致したことが、たくさんの応援につながり最終的に1位でデビューした、ということかなと。しかも番組中間の順位発表式では3回とも1位を逃し、最終回でようやく1位の椅子に座れた、という結果もまた "主人公" っぽい。デビューしてからは、グループの末っ子として "兄たちに愛されすぎる主人公" という、少女マンガでもみられる設定とも重なる部分がある。

圧倒的事実が「偶像」の解像度を上回ったとき

ここで「好きな人ができたらどうする?」問題に立ち返ると、"主人公"という「偶像」に照らし合わせれば、好きな人に自分からストレートに告白するというのは主人公ムーブすぎる。現実と「偶像」の乖離はない。日プ中とくに呼ばれていた「国民の初恋」「国民の青春」といったフレーズそのものという感じ。そういえば10月のヨントンレポで読んだ「学校に好きな人がいたらめっちゃ話しかける」というのも主人公ムーブだし、これを知った時は、ほぉ〜?やるじゃん( ◠‿◠ ) 以上の感情はとくになかった。

今回気持ちがざわついたのは、それがさらに経験談として具体的に提示されたからだと思う。これまでJO1の恋愛観が語られる場面は少なく、「偶像」としてのイメージの中でぼんやりとしか意識していない部分だった。「こんな逸材が普通に暮らして、同じクラスにいたりして、普通に恋愛とかしてたんか?????」と現実離れして思えて、想像することを放棄していたというか。そんな中で、圧倒的事実が突如あきらかになって、現実の「キャラクター」と、仮想としての「偶像」の "主人公っぽさ" に乖離はないものの、事実としての解像度が「偶像」より鮮明すぎたので、ゴメンこちとらそんな具体的に想像してなかったわ!!と脳の処理が追いつかずうろたえてしまったのだと思う。

 JO1結成3年目に我思う

今回のことで改めて思ったのは、推しの人物像=メディアや自分の頭の中で再構成されたもので、それが本人のすべてじゃないよねえ、、てこと。メディアを通してわれわれが認識しているアイドルの「キャラクター」は、本人や事務所・媒体側の「こう見せたい」「こういう一面を知ってほしい」姿のはずだ。そこからさらにオタク各自のフィルターで「こう解釈したい」「つまりこういう人だろう」という人物像が作られているので、われわれの知らない推しの一面なんてきっとなんぼでもある。だから知らなかった部分を知るたびに、自分の中での推しの人物像がアップデートされて「同じ豆ちゃんなのに まるで違う豆ちゃん」が一時的に生まれて混乱したんだろうなと。

あとまあ単純に、ほかの何人かのメンバーも含めてかなり素直な回答というのと、「彼らのこういう一面を知ってほしい」と事務所側も思ってんだ!?とびっくりしたというのも正直ある。たぶん誌面に載るのってインタビューの要旨だけで、実際は何往復も掘り下げて聞かれて話した内容を、どこをどう世に出すか出版社側と事務所が確認していると思うので(もしかしたら原文そのままスパッと答えたのかもしれないけど)。そもそも回答以前に、この質問自体へのモヤモヤ感もあって。アイドルにこの手の質問をすることの違和感については、こちらのnoteに元ドル誌編集者さんの目線で綴られていて、なるほど&共感の嵐だった。

今回の場合は「好きな"女の子"」という言い方はしていないので、異性みを勝手に感じとったのはまあこちら側なんすけどね、、とは思うものの、モヤッと感は拭えないよなと。告白の場面を想像してドキドキしたり、貴重な情報が知れてうれしいと感じる人もいる一方、こういうの知りたくなかったよ…という人もいると思うし。アイドル・メディア側の「見せたい」「知ってほしい」一面と、オタク側の「見たい」「知りたい」姿が大きくズレると、ちょっともう一緒に歩んでいけないよ、っていう人も出てくると思うので、今回の質問と回答はちょっとだけヒヤッとしました。そのあたりの需要と供給の勘みたいなものは、会社としてもアイドルとしてもまもなく3年目(おめでとう!)でまだまだ手探り状態だと思うけど、事務所と、何より本人たちを今後も信じていきたいなと思う。そしてこちら側も、頭の中で描いている推しの人物像は決して本人そのものじゃなくて、知らないことだらけだってことを肝に銘じたい。彼らの「知ってほしい」と JAMの「知りたい」がいい感じに共鳴して、でっかい愛積み重ねていけたらいいな、というわけで3年目もよろしくJO1!

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