学歴コンプを抱える君へ
なおる?
23時を回ったあたりか。外の空気を吸いたいからと友人に告げ、立ち上がった。
12月の外気が襟元より内に入らないよう肩をすくめ、店の前の駐車場にあるブロック塀にもたれかかる。
見もしないスマホを開き、惰性で指を動かす合間に、女が視界に入ってきた。
基本身内でない人間とは目を合わせないようにしているが、気が抜けていたのだろうか、ぼーっと目を合わせてしまった。
発声した拍子に意識が戻り、さっと目を逸らした。
聞くと、名はゆりというらしい。
なんや、いきなりぶっ込むな、この子は。
とはいえ、奇遇なことに、俺自身も学歴コンプに悩んだ1人だった。
学年も自分と同じM1、大学院修士の1年生だという。
親近感がわき、適当なあしらいができない。
そんなもん知るか、と言いかけて、ふっと笑った。
大学受験の失敗を引きずった学部生の頃の記憶を引きずり出す。
考え直す。
たしかに絶望は無力だった。
絶望というよりもあれは、自己否定や羨望、鬱々とした感覚その他がないまぜになった感情だった気がする。
あれの呼び名がなんであれ、一度感情を味わい尽くし、吐き尽くしたら治るというものでもなかったし、そもそも吐き尽くしようがなく居座る感情だった。
前を見ると大学生くらいの男女がキャッキャと店から出てくる。軽い足取りで車に乗り込み、通りに消えていった。
ゆりが膝を抱えるようにして、俺の足元にしゃがむ。
俺は四股を踏んで足場を整えるようにしてから、ゆりと少し距離のあるところにどっぷりと腰を沈める。
道の端の雑草を引き抜くと、アスファルトが崩れた。
アスファルトの破れから覗く土をいじりながら何を話すべきか考える。
こんな会話をするまで、学歴コンプはほとんど忘れ去っていた。学部受験で落ちた大学に院試で受かったからだ。
だが、それを彼女に伝えると、抜け駆けされたという苦しさを彼女に与えるのではないかと勝手に気を揉み、敢えて口にするのを戸惑う。
だが、隠し続けるのもやりづらく、ただの情報共有として、その言葉を無色透明にして語ることにした。
いつもは根掘り葉掘り、相手が抱えている事情と感情を引き出しながら相談に乗る。
しかし、ゆりを見るとどこか構えている。
このまま聞き込もうにも、2人のトークを照らすON AIRのスポットライトを彼女はよけてしまって、心の上澄みにある言葉をすくうだけだろう。
そうアテをつけ、先に自己開示することにした。
お前は話さずとも構わん、距離を置きたくば置け。ただ、こっちは開襟しておるし、同族なのだから安心せえ。
そんな心積もりで口を開く。
おーすげーいい、とか、監督かお前は、とムカつく心を抑え、聞き流す。
俺の話を聞く姿勢ができたようだ。
俺はどうやってコンプを緩和したんだっけな、それが本題だ。
しょうがない。
高慢な人間は、高慢さを自覚しているけれどその高慢さをやめられないのだ、その高慢さが正当なものだと信じているから。
俺もそうだ。現役生の時、小数点より右のスコア差で落ちる。一年後の3/10の正午、二敗目を喫する。後期試験が3/12だったから、中1日で過去問をさらい、当日は時間を余らせて完答。入学後の学祭で、学年が上の元同級生と再会し、なんでお前がここにいんの、と言われる。
ほんまよな?なんてネタにして返すこともできず、かといって、受かったところが実力だからね、なんて負けを認めることもできなかった。
なんでここにいんのだなんて現実を疑う発想はたとえ冗談でもダサいし、一方でこれが俺の実力だとも思っていない。
現実を受け入れることが苦痛で否認するのでもなく、現実に漬かるのでもない。
ひらすら、ああ俺はこんな簡単なところに来てしまった、と思っていた。
そして、それを言える友人もすぐには見つからなかった。
学内では、後期受験での入学組は後期勢と呼ばれ、医学部医学科とともに持ち上げられていた。
同級生に明かしたところで、受けてただけですごいよ、と言われ、うずく。
それが本心なら、本心であれをすごいと見上げているレベルの人と同じ環境にいてしまっているし、それがお世辞なら、こんなしょうもないことで気を遣われていると思い至るから、いずれにせよ惨めになる。苦虫をつぶしながら一人、笑うしかなかった。
いつまでやってるんだと思いながら抜け出せない日々を思い出して、また、言葉に詰まる。
手応えのある答えを出せないまま、記憶の大地から掘り起こした感情の土ぼこりをかぶって、むせる。
実は、リベンジと言ったが、リベンジではない。
シンプルに行きたい院、欲する学びがたまたま、学部受験で失敗した大学にあったのだ。
と言いたいのに、ここの院試に受かった時、うっすら胸につっかえていたものが消えた感覚があったのも事実だった。
3回生、4回生の頃はまだ、コンプは感じてたっけな、感じてたんだろう。でも、自分を騙して、納得させていたのだと思う。
いや、M1になっても治癒はしてないんだよな。あまり意識しないけれど、今度は、学部からプロパーの人間と比べて、むなしくなることがあった。学部はあそこだったという過去は変わらず、差は埋まらないから。
あの逼迫感はきっと、解消できていないまま、解消していたのだ。
不意な褒め言葉に顔がほころぶ。ただ、キザに返す気にもならず、ちょけた。
ゆりは気を解いた様子だった。
今更の身元確認か。
身分を明かしてはじめまして、なんてのは日の当たる時間でのお作法だ。
どうせ明かしたところで真偽はわからないしな。
ふと店の屋根に乗る星を見上げ、息を吐く。暗闇に白くなって消える。
こんなものだ、会話なんて。虚構かもしれない。時が経てば忘れる。
けれど、力を込めて腹から気を吐けば、寒空の中にももっと白くくっきり残ってゆく、残ってゆけよ、星になれよ。
俺が学部時代を過ごした大学は、実家のある遠い地元にある。
一方ゆりは、近隣の私立に学部から院までずっと通っているようだ。
ざっと経歴を話したところで、LINEを交換し、店に戻って元の席に合流した。
帰宅したらLINEが来ていた。
夜に考えんことやな、と返す。
次に放たれた言葉に、グッと首の筋を立てた。
幸か不幸か、自分が害されたとき、怒りが第一に沸いてくるタイプではない。悲しみがまず湧いてくるタイプだ。
ただ、それではさらに図に乗る奴もいて、怒りを示す方が賢いことも多々ある。
これは怒るべきタイミングだった。
それでも、自分の視界に入らぬ彼女の背景があるのだろうと考えると、ここで切り捨てることもできない。
暴発し始めたゆりを静観する。
みんなが憎いということは、みんなのせいにしている、周りのせいにしているということだ。他人の責任にして叫んでいる。
学歴コンプを持つという共通項を見て接してきたけれど、ここに来てやっと大きな相違点が顔を出した。
舐めた開き直り方だが、吐き出したことで少しは落ち着いたか。
よく言えば、他責であること以外に、もう一つ大きな俺との違いがある。こうやって感情を爆発させていることだ。
また同時に、自分は落ちたという現実を受け入れられていないのかもしれないと思い立った。
ポジティブな言葉に安堵するのと裏腹に、相変わらずの達観した物言いにのれんに腕押しのような、彼女の感情を動かせない無力感を感じる。
感情を動かしたい。
たとえば恋愛でもビジネスの営業でもそうだろう。
相手の感情を自分の思うように操作しようとするのを諦める人、そのままの感情をリスペクトすべきだと思うから、あるいは自分のナイーブな感情に触れられたくないから相手の感情を操作しようとするのを拒む人がいる。
でも俺は、相手の感情を自分に都合のいいように動かそうとすることと、相手をリスペクトすることは共存しうると思う。誰だって動かせるなら動かしたいはずだ。感情が動いて、互いにいい結果がもたらされるなら、何も後ろめたくないはずだ。
相対する人間の感情を動かしたい。
もっとないのか、俺のインサイトは。
もっと刺さるインサイト、もっと刺さる言葉はないのか。
学歴コンプを抱える人間に憑依しようとしながら、搾り出す。
自分を証明したいのに、学歴以外の方法を知らない、持たないのではないか。
仮にエリート、持つ者が目標だとして、一度学歴で失敗するともう全てが終わりだと、逆に学歴があれば成功するのだと思っているのではないか。
そうすると、やっと向こうから打ち明けてきた。
なるほど、火種は就活だったのか。
学部3年の就活で惨敗し、院での学歴ロンダリングで再起を図るも、その算段が崩れ、さらに市場価値が落ちた。
そんなストーリーを想像する。
苦しくなるのも無理はない。
多くを語らず終わらせにかかるような、ありがと、に急ブレーキをかけた。
もちろんすぐには止まらない。身体が前に浮くようにして、残っていた言葉を送信する。
わかったがんばる、というメッセージと共に、頭を下げるスタンプが送られてきた。
完全停車して、止めていた息を吐く。
どこだったか、女はカメハメ波を出したがっているという話を聞いたことがある。
かー、めー、はー、めー、と溜め込んだエネルギーをハーッと放出してぶつけられる相手を求めているのだと。
女が恋愛相手にそれを求める、そういうことだろうと思っていたけれど、別に恋愛だけでもなく、別に女だけでもないのだろう。
解決策は実はいらなくて、共感が欲しかった、吐き出す場が欲しかっただけなのか?早くから踏み込んでもっと話させるべきだったのか。
あるいは、カメハメ波なんて関係なく、俺がゆりのいい面を引き出せなかったのか?ただ単に俺の実力不足で、素敵なゆりではなく、醜いゆりと話さざるをえなかったのか。
人は鏡というし、俺もまだまだ修行が足りていなかったか。
いやいや、何も考えず流しながら時折ズケズケのたまうくらいが丁度よかったか。丁度よかっただろうな。
ともかく、こんなどうでもよいその辺の女にこれほど力んでいたと知ったら、あいつを嫉妬させてしまうだろうか。いや、あいつは俺のこんな生き方を、それでも認めてくれるはずだ。
袖振り合った人にもいい影響を与えたいのだ。
もちろん俺は大した聖人では全くない。なりえない。
与えれば独りで死なずに済むだろうだとか打算で動くときもある。
悪いことをしたと今だにさいなまれるようなこともしてきた。
それでもいい影響を与えたいし、与えたいと考えて生きていたいのだ。
自惚れていたら、通知が来た。
ゆりがどんな風でいるのかよくわからないが、いい影響を与えられたのだろうか。
あれほどさっきまで馬耳東風だったのに、信じ難い。
追いLINEが来る。
もう返さない。
一旦向き合い切ったから。いや、それ以上に、危うきに近寄らずにいようと感じたから。最初からずっと感じていた違和感の輪郭がくっきりとしたから。
いきなりしねよなんてやばすぎる。
少し考えて、見捨てることもできず、非通知、非表示にした。
しばらくして、ごめんなさい、云々と謝りのメッセージが来た。
既読を付けずに読む。
またしばらくして、反省の言葉と、その後に、
はあ。
君が苦しいとか知ったこっちゃない。
謝りのメッセージに、自分は苦しいとわざわざ書いて見せるのはいやらしいと気づかないのか。なぜ君の相手は、君の苦しさを知る必要があるのだ。
ここまで来て、まだ欲しがりな言葉はもう見ていられない。
無論、俺は見返りは求めていない。ただ俺は俺にできる範囲で、通りすがりのボランティアをしただけ。君を救う義務はない。
既読も付けず、また非表示にしていたら、止んだ。
別に、過ちをおかすとこうなるのだと暗に諭したいわけでもなく、別に、ゆりのことが嫌いなわけでもない。
こういう人もいるよな、と思うだけ。
でも、もっといい生き方があると思うんだよ俺は。
LINEを閉じて、インスタを見る。
縦長の画面いっぱいにエレガントな高級車をぶいぶい言わせるあんちゃんのリールに、なにかを刺激される。
だめだだめだ。目を奪われてばかりじゃ。
手を動かし生産するのだ。
PCを開く。
確かにこれは鉄のように重たいだろう。
なら、鉄クズを叩いて、整えて、車を作ればいい。
錆びて壊れて、後ろから押さないといけないなら、パーツを交換して磨き直せばいい。
たとえば、こんな風に。
かつ!
以上。
読んだら笑え、笑ったら動け。
君が克てますように。
2024/01/27
後記
スライドパート、小説風パートをそれぞれ振り返る。
スライドパートの反省
〇ロジック面
・一言:打ち手ありきで、打ち手をいい感じにまとめただけ感のある提案になった。
・具体的には、⑴課題→真因→打ち手の確認と⑵MECEさが不足。
⑴課題→真因→打ち手/ロジックのフローの観点では、「課題=理想と現状の差分」としたときの理想の設定の難しさと、因果を明晰にとらえられないことがこのお題の扱いづらさだった。
理想の設定の難しさというのは、理想が様々あるからだ。一応、3プランという形で、理想ないし理想までの差分・経路の類型化はしたけど、とりまあれでよかったのかな。
因果については、「動かない→機会損失→相対的実力の停滞→コンプ強化」という自己強化的な負のサイクルがあるから、「動かないこと」が一つの主要な原因であることは間違いない、だから、Moveという打ち手を提案したわけだけど、なぜ動かなくなるのか、どんな背景・感情によるどんなロジックで身動きが固まるのかを明らかにしきれなかった。一応、Navigateという打ち手を通して世界は広いぞとケツを叩いたつもりだけど、「学歴コンプのイシュー = 行動の不足 + 視野の狭さ」でよかったのかしら。よさげ?
⑵MECEさという観点では、問題そのものの構造化という検証点に加え、比喩を用いたことで、車と人間の間の対応という検証点も増えた。未検証。
・一方、対象者の心理に深く入り込めている(自分自身の経験も踏まえ)がゆえの、暗黙知的な分析に支えられた、効きやすいだろう打ち手になってはいる。また、ロジックを飛ばして先に案を出してしまうというのは仮説思考もどきとも言える。
・思考のフローとしては、今回のように真因もどき+打ち手を先に仮説として立てた上で、そのあとでロジックを調整してもよい。
プレゼンするときに、課題→真因→打ち手の順番になおせばいいだけだ。
〇その他の面:時間の浪費
・思考しながらのスライド作りにより、5時間ほどかかった。
先にアナログで概要を書くべき。
なぜアナログの概要をはしょるときがあるかというと、自分の字が読めないため。走り書きでもきれいに書けるようにしたい。あとは、寝かせながらじゃないとアイデアが浮かばないため。これについては、しょうがない。
小説風パートの反省
・読み物としての面白さが不足した
自分語り・内面で考えていることの描写が多すぎたこと、波・ドラマ性・起承転結がないこと。
でもね、共感っていうのは、うんうんて聞くだけじゃなくて、吐きそうにしてるときに指突っ込んで吐かせてやることでもあると思うんだよ。これを読んでくれた学歴コンプを抱えてる人が、そう、それだったんだよ、ってなることで昇華していく一歩になったら嬉しいから、やっぱりあれは必要だったんだよ、と思いたい。
まあ技術不足です、はい。
・どうやって小説書いてはるんやろう。。
会話ベースだけでほぼ成立させられるかと思いきや、会話のつなぎ、その間の考えを書いていたら、逆にそっちの方が多くなった。
割とみなさんそんなもん?会話展開が見えてから、詰めていく感じ?
わからんけどすげえな。
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