鞭に打たれて夏が通り過ぎていった真夜中の新宿


緊急事態宣言なのに何をやっているんだ不謹慎な、と思われるかもしれないけど発狂してしまいそうだったので許してほしい。そして、勝手にこの日記に登場させられている人がいるので、嫌だったらその部分は消しますから言ってください。

昔は手帳にあったことの事実だけを書き込んでいたけど、もうそれもコロナ以降は中断してそのままだったので、せめて書き残すべき日について何らかの心象的な記録を残しておくべきだろうと思った。写真を見れば何をしたかトピックとして思い出せる事は分かっている。でも、その時に何を考えたかまでは残らない。ただ、別にちゃんとした文章として残すつもりもない。

ワクチンを打つ日を四連休の初日に入れたため、何もその後の予定を立てることができなかったのだけど、それなりにはウキウキしていた。しかし、副反応が酷くて動けず、2日半は布団で過ごして終わってしまった。Instagramを見ると山とか海とか楽しんでいる写真がどうしても目に入り、羨ましくなってしまっていた。日帰り登山にでも行こうかと思ったものの、そんな体力はないと悟り、Twitterで遊んでくれる人を募ってみて、夜の新宿に繰り出すことにした。

最近、仲良くしているクレイジーな作曲家と、つい最近フォローされたばかりのフォロワーさんで合流し、ゴールデン街にいくことになった。知らない人とお話をするのはかなり楽しいことで、最近はあまりできていなかったから、それだけでも貴重な時間だなと思った。

その後、変態バーで働いている友達がホテルのスイートルームを貸し切って飲み会をしていると聞きつけたので、濃い空間になりそうだなとビビりながらピンポンを押した。初対面の人を怪しいところに連れていくのも内輪ノリのすごそうな空間になっているのも、流石にちょっと申し訳ない感じがしながらも、ただ、他に行く当てがない。緊急事態宣言下でなければ、友人が経営している割と健全なバーもあったんだけど、あいにくそこはやってないから…。そのフォロワーさんは時間が来てお帰りになられたけど、またどこかで会えれば良いなと思う。

そして、作曲家にハプバーに行ったという話をして以降、大はしゃぎで、彼も行きたくて仕方なさそうにしていた。自分は一回だけ日曜日の真っ昼間に行ったことがあるが、そもそも誰もいなかったということがあったのである意味リベンジみたいなものだった。それにしても、大学でテニュアな職を探している作曲家はジリ貧で持ち合わせがなく1万円を彼にカンパすることになったのはいただけない…。まあ…。しゃあなし。

制服のコスプレを着た一番目立っている女の子がいた。少ししかお話ししなかったのだけど、共通の知り合いがいることが判明してしまった。心がざわついて仕方なかった。それは自分がTwitterで繋がっていつつも何をしても返信がこない、縁を切られてしまったあの友達だった。とある秋葉原のバーのクロージングパーティに来ていたというのだから、絶対そこで会っているはずだ…。「ああ、そういうことはある。気持ちが分かってしまう。」「忘れて次に行こう、それはいずれ恨みに変わるよ。」と放った彼女は向こうへ行ってしまった。もう少しお話をしていたかったが、野郎どもが多すぎて囲われているところに話しかけに行くわけにもいかず…。

まあ、ハプバーなんて、はっきり言って仕舞えば、自分が最も嫌いとしている男子中学生のノリを大人になってまで引きずっている猿たちがバカ騒ぎをしているだけにしか見えなかった。1万4000円を払っておきながら早々に退散した。多分、二度と来ないここにはと思った。そして、ハプバーに残り続けた天才作曲家を置いて自分は真夜中の新宿を放浪することにした。

ホテルの一室に戻るのもまだ遊び足りない気がしたので、以前からTwitterで見かけていた、「ちんちろりん」というバーに行くことにした。そこではスタンガンを打たれたり、鞭に叩かれたりした。まあ、ただ痛いだけなんだけど、ハプバーに行くよりかは鞭を打たれる経験をする方がよほど有益だと感じたのは事実である。そこで高専卒の方と知り合ったのもなかなか面白かった。そして、疲れても来たのでホテルに戻ることにした。

「鞭に打たれてきたんださっき。」「あ、たまたま今日持ってきてるよ。」「よし、やるか…。」という流れでさらにまた鞭を打たれることになった。本日2回目である。まさか今日、会うことになるは思っていなかった友達がいたのだけど、彼女に鞭を打ってもらった。あるシェアハウスのイベントで知り合って、ゴールデンウィークには海と山に行ったりした友達である。

界隈は遠からず近からずといったところだろう。自分はシェアハウス界隈に出入りしている。間違いなく、ここがとりあえずの今日の居場所であり、僕はここにいるべき人なのであり、その前提を有しているということはその通りなのだ。自分は変態バーにも行ったことがないし、女装趣味もないし、特殊な性癖もないし、話も合わなさそうだけど、居心地は悪くはない。

他者との本来的な関わり方とはやっぱり…。誰かを引き込むことであり、引き込まれていくことでもあり、誰かと誰かをつなげる営みでもある。そうやって、自分のテリトリーを広げていくこと、そこが居場所でないと察したときに離れること…。程よい距離感を見つけること…。

自分が誰かの居場所になれなかったとして、それで消えた人たちに傷つく自分がいる。その気持ちに折り合いをつけながら、いつでも傷つく準備をしながら、それでも未知なる誰かを探していくしかない。急接近して親密になって、それでいてあっさり消えていった誰かを恨まないようにしていたけど、それは実はかなり負荷がかかることなのかもしれない。ただ、自分にはそうするしかできない。何も残らない下らない営みなのかもしれないけど、そういうことを繰り返してコミュニティが形成されていく。一対一の人間関係よりも、もっと誰かと誰かを引き合わせることが大事なのかなと思う。より一層、そう思う日だった。

自分をずっと悩ませている問題を解決するために、「過去に通じ合えたという瞬間を共有しているだけの関係が、呼びかけに応じて再度集結する程度の、その呼びかけがかろうじて届く程度のつながりを生成するための手段を模索する。」という方向で動くことはこの時代において、あまり想定しえないことなのかもしれない。それはもう究極の甘えなのかもしれないと思った。

夏が気づいたら終わってしまって、置いていかれたような気分になってしまいそうな、そんな予感を、始まる前から感じさせるこの季節って経験したことがない。始まる前から夏の大事な一部分が自分を通り過ぎていってしまった。とにかく心がざわつく瞬間の多い日だった。楽しかったし新鮮な日であったことは間違い無いのだけど、焦りと寂しさも同時に感じていたりもした。

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