ヒメヒナ物語『Refrain』 | 第三話
第三話
命
†††
「ヒメならなれるよ、太陽に」
夕暮れの河原でそんな風に言ったのは、いつだったろう。
もうずいぶん昔のことみたいに思える。
−−−−寒い
まだそんな季節でもないはずなのに、ぶるりと寒気がして目が覚めた。
(いけない!!ヒナ、眠って……)
慌てて廊下の奥、手術室を確認する。
手術灯は−−−−
「あれ?」
手術室がない。
手術室どころか廊下も壁もない。
顔をあげると、抜け落ちた天井から満点の星空が見えた。
「……爆発?」
病院に仕掛けられた時限爆弾が爆発した後みたいな景色。
それに空を泳ぐ−−−−
「ああ。なんだ夢か」
透明なクジラなんているわけがない。
「夢ではありません」
「ひゃっ!」
突然の声に驚いて振り返る。
「どちらも泡沫 (うたかた) −−−−似たようなものではありますが」
声の主は、薄桃色の瞳を閉じ、ペコリとお辞儀する。
「ようこそ。バーチャル診療所へ」
(ナースさん…でいいんだよね)
黒を基調にしたシックな印象のデザインは、少し変わっているけどナース服に見えた。ちょっと軍服みたいな雰囲気もあってヒナ好み。だけど、この病院のナース服ではない気がする。
「ばあちゃる診療所?ヒナ、どこも悪くないけど……」
言いながらヒナは頬をつねる。夢なら早く覚めて。ヒメの無事を見届けないと。
「そんなはずはありません。こんな所に来ている時点で、病気の疑い−−」
黒いナースは目を細め訂正する。
「いえ、心に傷を負われているようです。それも深く」
この世のものではないような、すべてを見透かした内臓色の瞳に、ヒナは落ち着かない気持ちになる。
「そうかもしれないけど…でも今はヒナのことなんかより、ヒメが大変なの。はやくしないと……」
「ですが患者様。このままでは患者様の心が、バラバラに砕けてしまいます。それなりの時間をかけ治療にあたったほうがよいかと」
−−−−そんな時間なんて、あるわけない
「ヒナの心なんてどうなってもいいよ!はやくもとの場所に帰してっ!」
ヒナが感情を爆発させると『世界』が揺れた。崩れかけの天井からパラパラと瓦礫が落ち、空を泳ぐ透明なクジラが驚いたように身をくねらせる。
「わかりました。ですが、応急処置だけはいたします」
黒いナースがさっと両手を開き、素早く腕を動かしはじめる。キビキビと正確に、まるで何かを縫い合わせるみたいな動作。
「あくまでこれは気休めです。また激しく心を動かせば、すぐに傷口は開き、大出血に至る可能性もあります。そうなった場合、今度はどうなるか分かりません」
「………」
ほんの僅かな時間で応急処置は終わったようだ。ナースが腕の動きを止めたその時。
「ヒメちゃん!!」
まるでタイミングを見計らったみたいに、星空の向こうから声がした。
親方だ。きっと、ヒメの手術が終わったんだ。
「ヒメっ!!」
たまらずヒナが叫ぶと、世界がいっそう激しく揺れた。
星空がまばゆく輝きはじめ、光のなかにヒナはとけていく。
目覚めの刹那。黒いナースの声を聞いた
「おぼえていてください。ボクたちの言う『命』というものは、きっと主観的なものに過ぎないのです」
と。
†††
第三話『命』
〜Fin〜
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