ジェンダー問題解決の2つの道

最近、散々アメリカでやってる話が日本に輸入されてますが…

これは、ツイフェミとかも同じで、元々の議論がグダグダだから、それへの批判のレベルも低くなるという典型です。

まず、生物学的な性別とジェンダーが違うという議論自体は当然です。これは、原因が何かとかいう問題を別にすれば、生物学的には男性でも自認性別は女性という人がいるのは事実です。そういう人は、男性が好きになったり、多くの女性がする格好をしたかったりします。そして、そういう人が自分を「女性」として扱ってほしい、とか、生物学的な同性同士で結婚をする権利を認めて欲しいと願うのもまた当然です。実際、多くの先進国ではこれらの権利を認める方向性に進んでいます。そして、社会制度がそうなっているのだから、そういう人が苦しまない様に、教育に反映させるのもまた当然です。

これだけだったら、何でもないのですが、ややこしいのは「ジェンダー・レス」の人たちです。生物学的にも遺伝性疾患というグレーゾーンもありますし、さらに性自認とかになったら様々な「多様性」があるのも当然でしょう。生物学的にはDNAは男だけど遺伝性疾患で、性自認は女性だけど更にレズビアンだから女性が好きで、服装はやヒゲなんかは男性的にやりたいとかいう人だっています。こうなってきたら「普通」の人はついて行けないと思うかもしれませんが、別についていく必要もありません。「はい、そうですか」と言っておけばOKです。

議論がややこしくなるので、「女性らしさ」の話はあとに回します。

結婚とかもOKになってるのだったら、自分をどう思おうが勝手なのですが、問題が生じるとしたらトイレ、更衣室、公衆浴場といった場面です。日本だと女性専用車両の問題もあります。大体は社会的に扱われる性別と性自認が異なる場合に問題になります。社会的な究極的には、この問題の解決は2つしかありません。

1つは、ジェンダーレスとかトランスジェンダーの人のために、3つ目の設備を用意するというものです。社会的コストは膨大ですが、公正で多くの人が納得できる社会を作るためには仕方ありません。

ただ、話をややこしくするのは、「多様性」派が、第3のカテゴリーを作る事では不十分だと主張することです。確かにトランスジェンダーの人にも色々いるわけですから、そういう人たちを十把一絡げにして扱うのは乱暴なのかもしれません。

だから、2つ目の解決法は、そもそもジェンダーでの差を全く失くしてしまうというもので、これは「論理的」には筋が通っています。まず、結婚制度はヨーロッパの多くの国で事実婚が主流になっており、実際にそうなっています。問題になるのは、トイレ・更衣室・公衆浴場といった施設・設備です。そもそも、「普通」の男性や女性が上記設備で「同性」だけで固まって安心しているのは幻想にすぎません。同性愛の変態の犯罪被害に遭う可能性はあります。トイレも更衣室も浴場も男女一緒にしてしまえば、最初は男性が大喜びするかもしれませんが、その内お互いに慣れてなんともなくなるでしょう。そもそも公衆浴場は昔は男女一緒でした。社会的効率も最高です。

でも、それが嫌だと思う人もいるのも当然です。また、日本の様にわざわざ女性専用車両を作っているのは何故なのかという問題もあります。ここで重要なのは「行政」という概念です。

確かに論理的には同性間の性犯罪なんかもありえますし、現実的にもあるでしょう。ただ、統計的に多いのは異性間、それも多くの場合は男性から女性への犯罪です。それが多い以上、リスクのある場面では男性と女性を分けるというのは、論理的な社会的公正性とかいう概念からすると少し問題があるかもしれませんが、現実的な対応だと言わざるをえません。女性専用車両も、あれは社会政策の失敗で満員電車の解消が本筋なのですが、それが難しく女性への痴漢被害が多発している以上、女性専用車両も現実的な「行政的な」措置だと言えます。

そうだとしたら、トランスジェンダーの人の扱いも現実的なものにならざるをえません。公正性を重んじる社会では、なるべく第3の設備を用意すべきでしょうが、コスト的に難しい場合もあるでしょう。ジェンダーの多様性を考えて第4、第5の設備を用意することは多くの場合現実的ではないでしょうが、第3の設備で犯罪が横行するようなら対応するしかないのかもしれません。これまた現実的な話になりますが、実際にトランスジェンダーの人は少ないので、第3の施設・設備は通常のものより個人スペースを大きくとって仕切りを作るなど、リスクを低減する措置を取ることも可能です。

厄介なのは、トランスジェンダーの人が自分も自分の性自認の性別の人間として扱われ、その性別の人たちと同じ設備を使いたいと言う場合です。こうなると、やはり何らかの形でその人の「ジェンダー」を特定化する必要が出てきます。それをどのように決めるのかは、民主主義的な決定にゆだねるしかないでしょう。アメリカの様に分断した社会であれば、州レベルでそれが違っても良いと思いますし、日本でも都道府県や市区町村にその権限を与えても良いでしょう。問題になるのは公的な施設の場合が多いと思いますが、私的設備の場合は立地する国や自治体の方針に従えば良いでしょう。これだけやっても納得できないトランスジェンダーの人がいるなら、やっぱり申し訳ないけど第3の施設で、とお願いするしかありません。

このように論理的に考えると解決不可能に思える問題も、行政上のとか、現実的な問題解決という観点に落とし込めば、大体常識的な所に収まるものです。そして、上記のような無駄な議論は一生しなくて済みます。

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