[この曲がすごい!その10]THE BLUE HEARTS "1000のバイオリン"
「好きな一曲をただレビューする」コーナー。記念すべき第10回はこちら!THE BLUE HEARTSの「1000のバイオリン」
ブルーハーツは名曲揃いなのでどの曲を紹介するか迷ったのですが、今日の気分はこの曲!僕はとにかく夜に聴きたい一曲です。今回は思いっきり「僕の解釈」を書いていくだけの回になってしまいました。思い入れがありすぎて自分なりの解釈があるので、初めて曲を聴く方は僕の文章を読む前に曲や歌詞をじっくり味わってから、もし興味があったら読んでみてください。曲が最高なので読まなくても大丈夫です。
まず最初の歌詞
いきなりこれですよこれ!
イライラしたり憂鬱になったり、絶望しても失望しても何度でも「楽しい事をたくさんしたい」「おもしろい事をたくさんしたい」って思わせてくれるこの最高な歌詞。
しかもそこにあるのは消しゴムとペンだけなんです!
絵を描いたり、詩を書いたり、日記を書いたり、小説を書いたり消したりするペンと消しゴム。この歌詞を初めて聞いたときに想像力やイメージでどこまでも自由になれるっていうことを中学生の頃の僕は強烈に感じて、それは今絵や文章を書きながらいつも思っていることです。
ここの歌詞はメロディと相まって本当にグッときます。
「夜の扉を開けて行こう」「夜の金網をくぐり抜け」っていう表現がすごく詩的で、「支配者たち」が寝静まった夏の夜に危険をおかして冒険に出かけるひとりの少年か少女が目に浮かびます。ここはこの曲の第一部だと個人的には思っています。主人公の子供時代な感じ。
あと「何度でも夏の匂いを嗅ごう」の「何度でも」に強烈に未来を感じます。何度でもという言葉選びによって「生きること」「あきらめないこと」といったニュアンスがぐっと強まります。
「今しか見ることが出来ないもの」や「ハックルベリー」に「会いに行く」っていうのもすごい歌詞ですね。「今しか見ることが出来ないもの」が一体何なんだろうと考えるだけでも一生楽しめる奥行きがあります。「会いに行ける」っていうことは生き物なのか?とか「夢」とか「希望」みたいな抽象的な概念なのか?とか色々考えちゃいます。
答えがないところが素晴らしい。
ギターのマーシーの歌詞にはよく物語の登場人物や小説家などが登場するんですけど、ここで「ハックルベリー」が登場するのが本当に秀逸。
ハックルベリーは1876年にマーク・トウェインによって書かれたアメリカの少年少女向けの娯楽小説「トム・ソーヤの冒険」に出てくる登場人物で、主人公トム・ソーヤと一緒に冒険に出かける親友です。
1885年にはハックルベリーが主人公の「ハックルベリー・フィンの冒険」が書かれていて、この作品は文豪ヘミングウェイが「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する」と言っていたくらいアメリカ文学史における最重要作のひとつとされています。時代背景から黒人への人種差別的な言葉が繰り返し使われているため何度も論争にもなっていますが、プロットはむしろ奴隷制を風刺していて、売り渡されることから逃れるために主人から逃亡した黒人奴隷のジムとアルコール中毒の父親の元から逃げ出したハックルベリーが二人で奴隷制のない州を目指すというお話です。
「台無しにした昨日」を帳消しにするために自分をトムソーヤやジムに重ね合わせて、ハックルベリーと一緒に自由を求めて冒険に出たいという空想と現実が入り混じった絶妙な表現がされていると思います。本を読むのが好きな少年少女が自由に憧れて親が寝静まった夜に空想しているようなイメージが僕はあります。
そしてもう一度
と歌われたあとに
という歌詞で児童文学的な世界から一気にロック的な世界観に連れていかれます。ここはかなり意識的に「馬鹿野郎」「ブッ飛ばす」という言葉を選んでいると思います。個人的にはここからが第二部。
「ゆりかごから墓場まで」というのは第二次世界大戦後のイギリスで行われた社会保障のスローガンで、生まれてから死ぬまで国民が無料で医療サービスを受けられるという内容の政策だったのですが結果的に大きな財政赤字を生んでしまってサービスは破綻してしまったという歴史があります。
単純に「生まれてから死ぬまで」という意味にも取れますけど、この言葉から受ける政治的なイメージもあえて込めていると思います。
つまりここでの「馬鹿野郎」は気に食わない人や自分を苦しめる人というだけでなく、生きている以上死ぬまでついて回る「政治」や「社会」そのものでもあるかもしれません。ここから曲は少年時代から青年時代、大人になっていきます。
そして曲のタイトルにもなっている「1000のバイオリン」が響いて道なき道をブッ飛ばします。この「1000のバイオリン」というフレーズから僕が思い浮かべたのは、マーシーも大好きな中原中也のこの詩です。
千の天使がバスケットボールする。このイメージはマーシーがブルーハーツのあとにヒロトと組んだハイロウズの大名曲「青春」でも「リバウンドを取りに行くあの子が 高く飛んでるときに」っていう歌詞で表現されていると個人的には思っています。
そして道なき道をブッ飛ばす清志郎の「雨上がりの夜空に」的なロックンロールのイメージと破天荒で繊細な詩人の中原中也のイメージが交錯します。
ここはもう本当にマーシーらしいというかマーシーそのものみたいな歌詞です。
そのあとに
と歌われ、大人になった少年が「誰かに金を貸してた」こともどうでもよくなってしまうような気持ちになって、暑い夏の日に思い出が「アイスクリーム」みたいに溶けていきます。
これはきっと夏の暑い日にロックを聴いていたマーシーの気持ちなんじゃないかという気がします。政治も、社会も、お金のこともどうでも良くなって思わずワクワクしてしまうような瞬間を切り取っている気がします。
この感情はきっと好きなものがある人がそれに触れた時に感じる「あの感じ」なんだと思う。
そしてラストにまた
と歌われてもう一度ペンを片手に曲を書いたり詩を書いたりするようなイメージで曲は終わります。
いや~、改めて聴いて歌詞をじっくり読んでも、ものすごく完成度が高いです。
これは少年時代だけじゃなくて、かつて少年や少女だった人たちのため、今も心のどこかに少年時代、少女時代の自分がいる人たちのための曲でもあると思います。
ちなみに「トムソーヤの冒険」を書いたとき作者のマーク・トウェインは「この本はかつて少年少女だった成人たちにも読んでほしい」と前書きに書いてたりもします。
この曲を聴くたびに僕は中学生の頃の気持ちを何度でも思い出せるし、考え込んじゃう毎日を帳消しに出来るような気持にさせてくれます。
やっぱりヒロトのボーカルにマーシーのコーラスが絡むのが最高です。
この二人が出会ってブルーハーツ、ハイロウズ、クロマニヨンズと30年以上一緒にロックバンドを続けてることが日本のロック史に与えた影響ははかり知れませんね。トム・ソーヤとハックルベリーみたいな二人だし。
そんなこんなでアレコレ書きましたけど、結局この曲は大好きとしか言いようがないです!大好き!
ということで「この曲がすごい!」第10回はTHE BLUE HEARTSの「1000のバイオリン」でした。ロックって本当にいいものですね。またお会いしましょう。サヨナラ。
THE BLUE HEARTS "1000のバイオリン "
アルバム「STICK OUT」収録
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