ペンを魔法の杖にして

 近年若者の傾向に関して「Z世代」という言葉を持って括られるのを見聞きにするようになった。少し前には「ゆとり世代」もよく用いられていたが、どちらも若者の現状を嘆く際に使われる印象がある。「ゆとりは仕事ができない」「Z世代はすぐ辞める」といった具合に。「今時の若者は」と嘆くことは今に始まったことではなく昔からあることだが、私はこういった分断を煽る言葉が苦手だ。
 「今時の若者は」と嘆いている年上の世代に対してかつての若者は言われっぱなしで終わっていたように思う。だが今の若者はSNSを用い、言葉という強力な武器を振るい反撃を始めたようだ。
 例えば「老害」という言葉がある。高齢化社会が進み、SNS上で目にする機会が増えたように感じる。「老害」に含まれる「害」という言葉は強く鋭利だ。もし自分がいつか「今時の若者」に「老害」と言われたら相当堪えるに違いない。老いた私は敬われる存在ではなく、未来のある世代にとって「害」のある人間なのかと。言葉は怖ろしいくらい簡単に人を深く傷つけることが出来る。
 さて「ペンは剣よりも強し」という言葉がある。私はこの言葉を聞くと、ことわざや慣用句としてではなく、映画『バットマン』で狂気的な悪役のジョーカーがこの言葉を吐きながらペンで人を刺すシーンを思い出してしまう。
 ジョーカーは例えではなく物理的にペンを剣のように振舞っていたが、今や世代を問わず誰もがSNSで、実際はペンではなくスマホやPCを使い、指先によって簡単に言葉という剣を振るうようになった。そしてその剣が誰かの心を刺して血塗られても気にすることはないだろう。自身の振るった剣が血塗られていることに気付いてもいないのかもしれないし、怖ろしいことにそれを喜んでいる者すら見受けられる。
 私はSNS上に限らず人に言葉を向ける際には自分の手にある言葉が剣となっていないか気を付けたいと常々思っている。相手を傷つける剣を振るうのではなく、相手の心に虹を架けるように魔法の杖を振るいたい。
 世代も含め、各々の性別や貧富や教育のレベルだとか、人々は様々な要素をそれぞれ持ち合わせている。相手が持つ領域へ時には踏み込んで関わって行かなけらばならないのが社会というものではないだろうか。その時に魔法の杖を振って、相手の心に虹を架けていきたい。鋭利な言葉の剣を振り合う社会が持続する未来は、誰も見たくはないだろうから。

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