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育児開始3週間で、お手上げになった日

2009年2月6日に娘が産まれた。

5日間の入院後、2月11日に退院して、本格的な育児がはじまった。
産後の入院期間によっぽど嫌な思いをした人でない限り、退院が近づくと・・・できればひと月くらいここにいたい。快適な部屋、3食の美味しい食事、母子双方に優しすぎる環境。いや、ひと月とはいわないから、あと1週間でいいからここにいたい。と思うはず。

でも、そんなわたしの願いが叶えられるわけもなく、当然退院する。

里帰り出産だったので、実家には母の他に3人の子どもをもつ兄夫婦もいたし、34歳で第一子出産という決して若くない年齢だったので、年相応の余裕はあったとは思うけど、はじめての育児には人並みに不安があった。

そんな、わたしの不安を知ってか知らずが退院後最初の1週間は順調に経過していく。娘はとてもよく眠る赤ちゃんで、2時間おきの授乳とオムツ替えの時間以外はほとんど寝ていた。

授乳とオムツ替え以外の重要なミッションは沐浴だけど、わたしの実家地方には「おびあけ」という文化があり、産後20日くらいまでは母子外出禁止&母親は水仕事禁止、とにかくゆっくりする期間。ということで、1 日中パジャマでOKだった。沐浴さえも水仕事に含まれていて、その期間は、フリーの?助産師さんが毎日赤ちゃんを沐浴させに通ってくれて、母親のおっぱいマッサージや授乳指導なんかもしてくた。おかげで、入院中から苦手だった授乳がおびあけ後には母子ともにすっかり上手になった。産前に母から聞いたときは、そんな習慣も知らなかったし、今どき実行している人がいるの?と思っていたけど、市役所に「おびあけするまで家に来てくれる助産師さんを紹介して欲しい」と言うと、数名の助産師さんの連絡先を教えてくれた。わたしはわたしより1年早く出産していた地元の友だちがお願いしていた助産師さん(確か清水さんというお名前でした)にお願いした。

この”おびあけ”習慣、とてもいいと思うのに、残念ながら全国的ではないらしい。

娘には夜中も数時間おきに起こされていたけど、おっぱい飲んでオムツ交換すると速攻寝てた。娘と一緒に昼寝もできるし、細切れ睡眠ではあったけど寝不足感はなく、「赤子意外とチョロい!?」と思ったりした。暇つぶしにネットしすぎて退院1週間後に目がめちゃくちゃ痛くなった(産後のPCやスマホはほどほどに)。

すっかり余裕かましていたわたしに、退院後2週間目くらい(ちょうどおびあけ期間が終わり、清水さんが来なくなったころ)についにピンチが訪れる。ある夜中、泣き出した娘は授乳してオムツ替えても、一向に泣き止まないのだった。当時、わたしの知識では「赤子が泣く原因」は「空腹・オムツ・抱っこして欲しい」の3つのみ。

授乳はした。いや、まだ足りないのかも?もう1回やってみよう。
・・・飲まない。お腹は空いてない?

オムツは・・・交換したばかりで汚れいてない。
装着に違和感があるのかも?直してみよう。・・・効果なし。

なら抱っこか。ほーらほーら、お母さんですよぉぉぉ。むぎゅぎゅぎゅ。むぎゅぎゅぎゅぎゅ。むぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅ。・・・ダメだ。

早々に自分の持てるカードを全て出しつくしたわたしは途方にくれた。(他のカードはないのか?もうわたしには奥の手はないのか?)と思いながら、とりあえず、抱っこを継続するくらいしかできないので抱っこしたままリビングをウロウロと歩いていた。小一時間ほどそうしていたけど、泣き止む気配はない。

困った。疲れた。眠い。

そして、わたしは娘と一緒に布団にはいった。添い乳をやってみようと思ったのだ。添い乳は赤ちゃんの窒息死の危険があるから、あまりやりたくはなかったのだけど、あと試していないのといえばそれくらいだった。

・・・全然飲まなかった。

もう無理だー。もうわたしにはお手上げだー!!こんな時、どうしたらいいんだー!!!娘ちゃんよ一体どうしたんだい?どこか調子が悪いのかい?と話しかけたりしても。泣きやめ娘!と念をおくっても、娘は泣き続けるばかり。

困った。困った。困った。これがガチの育児か。今までがラッキーで、これからはこんな夜が続くのか。不安だ。めっちゃ不安だ。今日が、育児ノイローゼの入り口だ。涙涙涙。怖い。と思いながら、、、、寝落ちした笑。
起きたら朝だった。娘はわたしの隣ですやすやと眠っていた笑。

育児ノイローゼの話題が視界にはいる度に思う。母親はそんなに自分を追い詰めなくていい。(うまくいかない理由?うーーーん。わっかんないなー?)って思ってもいいのに・・と思う。わかんないけど、大好きだよ。と抱きしめて、伝えれば、子どもは「もう、わかってないなぁ!笑」と受け入れてくれると信じたい。

あの日一緒に寝落ちしてくれた娘に、母さんは今でも胸キュン。

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