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【You Tube】エクソシストⅡの動画の原稿【イナゴ大戦争】

エクソシスト2をどう考えればいいのか?となると非常に厄介で
なんといっても原作者のウィリアム・ピーター・ブラッティが「なんじゃこりゃふざけんな」といって
自分でエクソシストの続きを書き上げて、しかも映画まで自分で撮ってしまったという作品な訳で
見ているこっちとしても気にする事なくぶっ叩くことが出来るというありがたい作品ではある訳なんですが
ただ個人的には、まるで見るべき部分が無い作品だ、とは思わないですね

まぁ僕は未来惑星ザルドスというSF映画が無茶苦茶好きで、
その監督でもあるジョン・ブアマンを擁護したいという部分はあるのですが

2の主人公であるラモント神父は信仰には厚い神父で悪魔祓いを任命された感じですけれども
冒頭でその悪魔祓いに若干敵前逃亡的な感じで怖気づいて失敗してしまっています

ただ彼の置かれた状況を考えるとそれは少々無理も無い話だったりはする訳です
彼の師匠的存在で、エクソシズムに誰よりも精通していたはずのメリン神父が
エクソシズム中に絶命してしまっていますし、これは神への信仰に疑義が出て当然の展開とは言えます
というのも悪魔祓いの能力というのは即ち信仰の力であると言える訳で
ビビってしまう、という事はようするに神の力を信じられていない、と取る事も出来る訳です

そしてただでさえメリンが死んでしまって動揺しているにも関わらず
教会に至ってはメリン神父の功績を認めるどころか書物すら発禁にするような始末
エクソシズムの敗北はすなわち「神の敗北」という事になる訳で
教会としてはエクソシストが負けたという事を決して口外したがらないという訳ですが
この処置は正直あまりにも酷いと言わざるを得ないでしょう。

命を賭けて戦っているはずのエクソシスト達は結局神にも教会にも一般人にも助けて貰えない状況にあり
ラモント神父としても、メリンの弟子に当たるからと言って貧乏くじ引きたくは無い
つまり無駄死にしたくはないであろう訳で
まぁようはカラス神父と同様に「信仰に疑義が出てしまった神父」という訳ですね
彼がどのようにして信仰を取り戻していくのか、という事が焦点になっていきます
まぁぶっちゃけ、通る道はカラス神父と一緒ですけどね

1においては宗教と科学というのが完全に水と油的な対比構造として描かれていましたけれども
2ではそんな事も無いのではないのか?といった辺りがテーマがあると考えられます
つまりエクソシズムと科学の融合、みたいな事ですね。この謎の催眠感応装置はハッキリいって謎ですが
まぁともかく科学と宗教は決して両立不能なものではない、みたいな事がやりたかったのでしょう

そして1で倒したはずのパズズが感応装置を使う事で、どうやらまだ生きてっぽい事が判明します
メリン神父はイラク、ビギニングを入れればケニアでもパズズの偶像と遭遇している訳ですが
案の定、人類はパズズを倒し切る事が出来ていない。そもそもどうすれば悪魔を倒せるのかまるで不明なんですが
ラモント神父としてはやはりメリン神父は失敗してしまったのだ、という絶望と同時に
「この装置は使えるんではないのか?」という新たな希望も得る事になります

で、今回の敵、イナゴ。イナゴってのはご存知、旧約聖書にも出てくる訳ですが、
このイナゴとの戦いなる地味過ぎるものを我々はどう考えればいいのか?という話ですね。

まずこのエクソシストシリーズに出てくる悪魔というのを階層分けすると、多分こんな感じになると思います
一番上にサタン、その下にパズズ、その下にその他の悪魔、まぁその他とは言っても
このシリーズの敵は決まって「お前またやってきたのか?」みたいな事を口走るのが定番になっていますので
作中に出てくる悪魔ってのは全てパズズである可能性というのはあるにはあるんですが
どうやらイナゴの群れってのは、パズズの眷属みたいなものではあれどパズズに比べるといささか落ちる存在
パズズには現状手も足も出ていないエクソシスト達ですが、イナゴならどうにか出来るのではないのか、と
みみっちいけど、邪悪に対してまるっきり無力な訳じゃないぞ、と
実際蝗害ってのは毎年のように問題になっていますからね
まぁ多分あんまり腑に落ちない説明だと感じる人も多いでしょうが、僕が作った訳じゃねぇので勘弁して下さい

偉大な善が悪を呼び寄せるのだろうか

1ってのは信心深くも無い、何の変哲もない家族の一つが、突如として悪魔に憑かれてしまった
という部分にある種の恐ろしさが宿っていた訳ですけれども
この説明を聞いてしまうと、リーガンという少女には能力がある、つまり選ばれし者であり
それによって悪を呼び寄せてしまった、というような風にもとれますね

わかり易い話ですが、スターウォーズのミディクロリアン論争みたいな感じがあって
なんとなくウィリアム・ピーター・ブラッティはこの辺の設定が気に食わなかったんじゃないでしょうかね
え…それだとさぁ…みたいな事は僕もちょっと思ってしまったりもします

人類が共存するためにはテレパシーが必要
ちなみに僕は人類がテレパシーを使えるようになったら人類は滅びると思っています
そういう漫画を描いた事があるんですが、まぁ誰も読んでくれませんでした

まぁとにもかくにもアフリカにあのパズズですら殺し切る事が出来なかったコクモという存在がいる事が分かり
ラモントは今後の戦いのためにコクモと会う必要があると言い出しますが
目の前にもう一人パズズに殺されていない人がいると思うんですが
この辺の整合性ってのは正直なんとも言えません。まぁ他の手がかりが欲しかったという事なのでしょうかね

そしてリーガンはどうやらテレパシー的なものを使えるようになった模様
ちなみに2では序盤の方にユリ・ゲラーが出てくるんですが、ようはそういう
超能力的なものと悪魔の力、いわゆるテレキネシスってのは殆ど同じように見える訳で
悪魔憑きと超能力者の区別ってどうやってつけるの?みたいな話ってのは出てきますよね

ちょっとした超能力を使える女の子がそういう集団から悪魔が取り付いた魔女認定くらって
なんだかとんでも無い事になる話とかってどうだろう?とかちょっと考えたりしてみました

まぁともかく、ラモント神父としてはエクソシズムを次の段階に以降させたいというのが
動機というか、彼の目標という事になるのでしょう
既存のエクソシズムではパズズに対抗する事が出来ない訳で
なんでもいいからエクソシストの行く先に光明を見たいのだ、と

そしてイナゴの研究者になっていたコクモ。なんだか唐突な展開でしたけれども
彼が言うにはイナゴというのは翼をこすり合わせる事で変異して
どんどん凶暴になっていくのだが、そうならない新種も生まれてくる事がある、とラモントに説明します

そしてこれがつまり、ラモントの求めていた一つの回答という事になるのでしょう
人類が邪悪に打ち勝つには度重なる変異、ようは進化によって偶然に生まれる素質をもった存在
それは即ちコクモであり、リーガンであり、そういう連中を作り上げて、育てるしかなく
そしてそれを育てるには結局、翼を擦り合わせて戦うしか無い、みたいな話になる訳ですね

そしてコレは人間が今まで取り組んできた学問、生物進化学によって出された結論であり
科学とエクソシズムが決して敵対する関係では無い、という事が示されている、という事なのだと思います

ただ状況としては「人類全体がニュータイプになるのを待ちましょう」みたいな話だったりする訳で
もうちょっと手っ取り早くどうにかなんねぇのか?って話だったりもするのですが、まぁ仕方がありません
人類にとって良いイナゴと言える存在を徐々に増やしていく事によって
人類はいずれ、邪悪な者達と対等に戦えるようになる、と、なんかジャスティス・リーグみたいな話ですね

この辺はようは翼をこすり合わせて凶暴になってしまったイナゴ
まぁラモントと、そしてこのお姉さんはソッチ系だって話なのでしょう

そしてまぁなんやかやあって、リーガンがイナゴを御する力を発揮し、秩序回復

エクソシスト達の戦いはこれからも続くのでした、と

で、結局この話はなんだったんだ?って事なんですけど
スタート時点から見るとリーガンはテレパシーとイナゴを御する能力を獲得しています。
まぁテレパシーはともかくイナゴを御する能力なんざ何の役に立つんだって話ですけど
分類すると操作系でしょうね

で、ラモントに関しても頭打ちの状況のように思えたエクソシズムに対して
多少なりとも希望を持つ事が出来るようになったという状況なのではないのかと思います
コレから恐らく彼はリーガンと共に良いイナゴと言える存在を世界中を巡って探していくんじゃないでしょうかね

って事で以上が2の僕なりのざっとした解説って事になる訳で
2に関してなんだか煮え切らない作品だなぁと思っている人もいるでしょうが

この後に作られる3の、もう完全にどうしようもないって感じの悪魔的世界観と比べると
まぁまだ多少救いがある感じで、結構味わいのある終わり方になっているように感じますね

という事で次は地獄の3の解説にいきたいと思います

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