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「とりまスマホ」をやめてみる。ための考え

目が覚めた。
スマホスマホ。

トイレに行く。
スマホはどこだどこだ。

食事中の咀嚼中。
スマホを眺める。

電車に乗る。
忙しそうにスマホをいじる。

待ち時間まであと5分。
暇なのでスマホ。

スマホの残量10%。
バッテリーがあるのでそのままスマホ。


特に何をするってわけではないがスマホを触っている。
触らないと落ち着かない?触りたい?
んー、別にそういう訳ではないが、ついスマホを触ってしまう。
これはなんなんだろう。


「スマホ依存症」よりも前のもう少し深層の何か。

「暇な時間を潰したい病」?
「隙間時間を埋めたい病」?
「タイムイズマネー病」?
「忙しくありたい病」?
「手を動かしていたい病」?
「何もない状態はいやいや病」?

いろいろ適当に名付けてみたけど共通するのは
「とりあえず何かをしていたい。」ってことかな。

「手持ち無沙汰は嫌々病」が語呂が良くてちょっとしっくりくる。「恐怖症」とまではいかないけど「嫌というか、なんというか」レベルの感覚。「何かしていないと落ち着かない」「無駄な時間を過ごしたくない」みたいな潜在的な気持ちと実質矛盾しながらスマホを触る。

スマホの敷居が低すぎて、何もしなくてもそっちへ、ボールみたいな自分が無抵抗で転がっていくんだと思う。

そしてその下った坂を見上げては、目を逸らして、登ることを後回しにしている。だから暇な時間以上にモクモクと時間を潰してしまっている。


「スマホをよく触る=スマホ依存症」ではなくて、「スマホに自分が使われている状態=スマホ依存症」だと思っている。特に用もなくスマホを触り続けている、ダメだと思っているのに止められない、変わらない、抗えない、そんな状態がそれに当たる。いつだって自分の意思でスマホを手放して別のことをできる状態、これが健全で理想的なスマホという道具との付き合い方だ。最近覚えた言葉だが、「コンヴィヴィアル」であるかどうかは自分に依る部分が大きい。

スマホを道具として使えるようになろう。
そのために2つ。坂を下らないようにする工夫と、坂を登る訓練が必要だ。


とりあえずまあスマホから目を一度離して、何もない状態で周りや今日を見渡すことから始めよう。言葉にしていないことがきっと無限にある。「何もない」、「何もしていない」と思うのは言葉になってないだけだ。スマホの外には宇宙が広がっている。

いったんおわり

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