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「タイツの女の子」の絵に怯えた女の話

日本でも有数のストッキング・タイツ・アンダーウェア企業であるアツギの企画が炎上し、Twitterで話題を呼んでいる。

事の発端は11月2日、タイツの日にちなんで人気絵師とのコラボレーション企画だ。
#ラブタイツ  と銘打たれた企画では、タイツを履いた魅力的な女性・少女のイラストがTwitterに投稿され、アツギ公式Twitterが商品名とともにリツイートすることで、企画を進めていった。
投稿されたイラストの中には、騒動によって消去されたものもあるため、気になる方はご自身で検索をかけてみてほしい。

さて、この企画に投稿されたイラストの数々は、どれも美麗であり、可愛らしさと時には色っぽさを含んだ素敵なイラストであったと言えるだろう。

もし、それがタイツを売る企業のPRに使われなければ。

この企画は波紋を広げ、最終的にアツギは企画の取り下げと謝罪に追い込まれた。

この「炎上」騒動を「ツイフェミによる過剰な反応である」と分析する人も多かったようだが、実際にSNSを見てみると少し印象が異なる。
この企画に否定的な意見を持ったり、疑問を持ったりした人の意見の多くは、次のようなものだと考えられる。

・販促活動としてターゲットを見誤っている
・オタク文化が一般企業のフィールドでその許容度を見誤った

これらは「女性の性的な搾取」だとか「フェミニズム」の問題を提起しているわけではない。フェチを感じさせるイラストを投稿することも、描くことも否定していない場合が多い。
あくまで「企業のPR」として「女性を見る側の視点」での企画だったことに疑問を抱き、多くの企業アカウントや企業のコラボレーションへ「注意してほしい」という意思表示である。

だから、フェミニズムを極度に嫌う人たち、安心してほしい。
これは、フェミニズムの名の下に表現の自由を奪おうという意味での炎上騒動ではなかった。

……と、ここまで書いて思うのだ。
では、私はなぜあのイラストたちに「恐怖」を抱いたんだろう、と。

私は、投稿されたいくつかのイラストを見て、そして確かに「恐怖」を覚えた。
でも、なぜ?
ここからは、此度の炎上騒動を少し離れ、個人的な「お気持ち」とやらを書きたい。
素敵なイラストに勝手に「怯えた」一人の女の話である。

1.盗撮をされたことがありますか?

私が高校生だったころ、制服はスカートとジャケットのみ指定されており、
ひざ上10cmほどのスカートを履いていた。
いくら女子高とはいえ道中は電車、夜遅くなることもあったため、あまり露出の多い服装はしないように心がけていたが、それでも多くの女子高生に比べてスカートは短かったと思う。
痴漢被害に遭うことは数回あったが、車両を変えたりホームに降りて親に連絡するふりをしたりと、対応は可能だった。一歩外に出たらある程度の自衛は必要であると考えていたからだ。
しかし、盗撮されたのは「外」ではなかった。
部活の顧問であり、自分の進路担当であった男性教員は、必然的に話す機会が多かった。職員室に事務連絡に向かうと、彼はいつもおもむろに、スマートフォンを低い位置に持つ。
立って教員と話す私と、座っている教員。
その位置関係が意味する「違和感」が確信に変わったのは、とある授業での出来事がきっかけだった。
通常教室とは異なる部屋で、少人数の授業中。机に向かって作業する私の向かい、座った男性教員の机の下。
「ピカッ」と何かが光った。
ふとそちらに顔を向けると、男は少し慌てた口調で「スマホの通知が」と言った。

当時の私はそれでもなお確信を持てなかったため、本人にそれとなく「スマホをよく下に持っていますけど……」と聞いた。
彼は「癖だよ」と言った後、こう続けた。
「それで、あなたの○○大への進学のことだけど」
それ以降、私はその事象を追求することが出来なくなった。この男が、進路に大きな影響を与えるポジションにいたからである。

それでも、警戒心を強めたことは間違いない。常にタイツを履いて、出席しないわけにいかないその男の授業に参加した。
結果「撮られたな」と思う瞬間は増えた。
思い返せば私が「撮られたな」と思う瞬間はいつも、タイツを履いていた。
大好きだった高校は、それでも私にとって「中」ではなくなってしまった。
その後、卒業にあたり他の教員に相談し、事態は好転したとのことである。

2.女性は常に恐怖のさなかにある

データが示す純然たる事実として、性犯罪被害は圧倒的に女性のほうが多い。

詳しいデータは法務省「平成29年版 犯罪白書」より「第6編3節 性犯罪被害」より確認してみてほしい。

男性の被害がゼロではないことは当然目を向けるべきだが、だからといって、女性のほうが性犯罪被害に遭いやすいことが否定されるわけではない。
女性は男性より「自分が性的に搾取される」という事象に敏感である。
それは、身を護るために求められる感覚であり、悲しいけれど、男として生まれた人に理解してもらうことは、非常に難しい。

3.私の自由は他人を殺すことが出来るという「恐怖」


さて、ここまで長々と文章を書いてきた。正直、自分でも長すぎてい引いている。
何が私をここまで突き動かしたのか。
それは、私がイラストを見て感じた「恐怖」は、2種類あったという気づきだ。

一つはこれまでの内容でわかっていただけるかと思うが、
自分の使用する服飾品が、確かに性的な目で見られているという、過去の記憶とも紐づいた「恐怖」である。
これは、今回の企画に否定的な多くの人とは異なる意見、いや、意見とも呼べないような「お気持ち」とやらである。
(私のTwitterアカウントからもわかる通り)私自身オタクであり、二次元のイケメンが好きだ。フェチズムの存在もその尊さも、別ベクトルではあるが理解しているつもりだし、例えばフェミニズムやポリティカルコレクトの名のもとに作品が規制されれば、真っ向から戦ってしまうに違いない。
だから、この「恐怖」の表明は、誰かを従わせるためのものでは決してない。

しかし、少し遅れて私を襲った「恐怖」は、表明することで少しでも誰かの心に変化があってくれるといいな、と思う。
それは、私の自由は誰かを殺すことすらできるかもしれないという「恐怖」だ。

タイツを履いた美少女の少し色っぽいイラストには、何の罪もなく、否定されることはないし、ましてや制限されるなど言語道断だ。
でも確かに、私は怯えた。怯えてしまったのだ。
高校で起きた本当に些細な、小さな出来事が蘇り、クローゼットのなかのスカートを捨てようとした。誰も自分のことなど見ていないし、注目されるような麗しい見た目では決してないとわかっているのに、それでも。

そうして初めて、私は「自由」の鋭さに気づいたのだ。
私も、こうやって誰かを怯えさせ、苦しめ、そして最終的には殺すことだってできるんだな、と。

4. それでも「自由」であるために

SNSや情報機器の発展に伴って、人々の情報発信・交流は手軽になった。
そして近年、様々な「ハラスメント」の認知や、ジェンダー問題・フェミニズムの周知が活発になっている。
そして必ずと言っていいほど「そんなことでハラスメントなんて」という意見が存在し、そしてその意見は未だ社会の主流である。
でもその言葉を言う前に、立ち止まって考えてほしい。

彼ら彼女らは、どのような「恐怖」に苛まれているのだろうか。
彼ら彼女らを苦しめるのは、誰のどのような「自由」なのだろうか。

誰かの素敵なイラストで、私が勝手に怯えたように。
女性の性的搾取への敏感さを、男性がなかなか理解できないように。
きっと男として生まれ性自認も男性である人々を、特別「傷つけて」しまう自由があるように。
表現・創作・思想……さまざまな「自由」は常に誰かの「恐怖」になり得てしまう。
だからといって、それらの「自由」を私は絶対に手放したくない。

我ながら身勝手すぎて呆れてしまう。
しかし、自由を守るとは常に多くの人の妥協とすり合わせであり、誰かが一方的に「恐怖」にさらされ続ける「自由」は、いつか崩壊するのだと思う。
だから絶対に、誰かの「恐怖」の表明を「そんなことで」と棄却し続けてはならないのだ。
とりあえず話を聞いてみても、あなたの「自由」がすぐに失われることはない。

それと同時に、自分の「恐怖」が誰かの自由であるという裏返しの事実も、認識していなければならない。
私は、Twitterのミュートワードやブロック機能で心穏やかに過ごすすべを身につけた。
私のTLは相変わらず、少年漫画や女性向けゲームのことで埋まっている。

何かを発信するすべを持つすべての人が、自分の「自由」の可能性を知っておくべきだ。
恐らく、多くの人はすでに知っている。私の気づきがあまりにも遅かっただけ。

それでももし「考えたこともなかった」人がいたら、頭の片隅に置いておいてほしい。
たとえ「自由」が対立しても、まずは話を聞いてみて、両方の「自由」が守られる道を探してからでも遅くはないよ、と。


大変な長文失礼いたしました。
これといった主張のない乱文ですが、一人の女が「恐怖」を覚えた体験を記録しておきたく、書かせていただきました。


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