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仙霊茶~人と自然のあいだ「間(あわい)」~具体的な施策

「できる限り低カロリーで無理なくお茶を生産する方法」を。
日々試行錯誤して、優秀な仲間を集めて、進化しておられた。
古くて新しいお茶園「仙霊茶」さん。
今回は、実際に私が見ていいなと思った「低カロリー」を実現するハード面での取り組みを挙げてみる。

山と川の恵みを活かす

お茶を製茶する工程で、緑茶には「蒸す」という作業があり水分を必要とする。
また、製茶機全体を清潔に保つために掃除をする際も水は必須となる。
その際に使われる水、また茶工場で使用されている蛇口から出る水は、水道水ではなく、敷地内に流れる川の沢水をろ過して引いてきたものを使用していた。
水道水ももちろん兵庫の山々が源泉なのだから美味しいだろうが、ここ神河町はせっかくの名水の地。5つもの名水地がある。
そして、実際チャノキもこの沢水を根から吸い上げて育っている。
水質さえ問題なければ、水源の活用はとてもエコで低カロリーのお茶つくりに寄与するのだ。

とても清潔に保たれている工場内
茶園はバス通りから歩いてすぐ
なのに門を通り過ぎた瞬間からなぜか秘境感

社長さんがこのお茶園を引き継いだ当初は、井戸を掘って地下水を汲み上げようと、掘削工事の検討依頼をしたそうだ。
しかし専門業者に調査してもらった結果、あいにくこの敷地内で掘削工事をするのは極めて難しいことが分かったのだ。
この茶園のある山肌は、岩盤質で掘り進めるとすぐに大きな岩盤にぶち当たってしまうとのこと。
井戸水は諦めることになった。
それならばと、すぐ横を流れる川の水質を調査。
世界中に飲用水を作るためのろ過システムを開発・研究している大学の研究資料などを独自に学び、自家製で作ろうと試みた社長さん。
材料はシンプル。
貯水タンクとホームセンターで購入できるようなパイプやパーツ。
そしてろ過するための砂利。
これを一緒に工事して作ってくれる優秀な仲間もしっかり茶園メンバーにいた。
ろ過システムの写真を撮り損ねてしまったのだが、とても大きな味噌樽をタンクとしてリサイクルしていて、構造もシンプルで動力はなし。
上流から自然と流れてくる清流をパイプに集めて、タンクの上から貯めていき、ろ過システムを通って、タンクの下から浄水が出てくるシステム。
貯水タンクに変身した味噌樽も、この地域で味噌作りが盛んだったころのもので今では使われなくなりずっと倉庫に眠っていたものを譲り受けたもの。
あの大きな樽を廃棄しようとしたら、それもまた粗大ごみとして廃棄コストもかかるはずだ。
ちゃんと活用できるものは活用する。
別の役割で生き返る味噌樽に、私はこの地域のひと昔前の味噌作りをしている光景にふと思いを馳せた。
今も素敵な町だが、昔も手仕事が残る良い地域であっただろうとまぶしく思った。

3月の川の様子。この上流に貯水タンクがあったことはこの時はつゆ知らず。

とにもかくにも、とてもとてもきれいな透明な水。
実際に、私が初日の一番初めに紹介されて見た茶園の光景は、この川の上流で貯水タンクのパイプを修繕するために待っているスタッフが水浴びして茂みから出てくる姿(笑)
そりゃあ初夏にこんな良いロケーションの清流で、気持ちいいはずだ。

ちなみに、このろ過システムで浄水した水は水質検査もしていて、工場で使用される分には問題なく使用できるレベルにまで浄水できているそうだ。

これは土地の利でもある。
深い森が水を守り、潤沢な水を人里まで流してくれるからこそ。
けれどそこに創意工夫のアイディアがあったからこそ、出来た低カロリーの要素だと思った。

人里に下りても用水路の水もきれい

偶然か必然か

そしてこの掘削検討を通して、社長さんも偶然か必然か、江戸時代にこの地でお茶つくりを始めた頃のことに想いを馳せたことだろう。
そして、無施肥無農薬でも質の高いお茶がこれからも生み出されていくだろうとより確信しただろう。
以前も書いたが、この地のお寺の住職が、ここでお茶の栽培を始めようと声をかけたことがきっかけで江戸時代に茶栽培を始めたとされるのが、「仙霊茶」の始まりだ。

ところで、お茶の起源を辿ると、中国の武夷山にさかのぼる。
元来険しい山の岩肌に張り付くように自生していたのがチャノキだ。
これは中国茶に詳しい人なら有名だが、良質な岩茶になるのだ。
ということは、かたい岩盤質でもある神河町の山合いのこの地は、チャノキの栽培にそもそも適しているということか。
掘り起こせばすぐかたい岩盤にぶつかるような土壌にしっかりと根を張り、養分が少なくても水はけのよい土壌で、たくましく丈夫に育つに違いない。
江戸時代の人も当時そのように考えたのかもしれない。

ここで、お茶刈りに関わらせていただくということは、当時の江戸時代から続いたこの地の人の生活に触れるということでもある気がした。
実際作業している最中はそんなこと考える余裕は全くなかったのだけれど。

にしても、私にはとても光栄な体験のひとつとなった。














 




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