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わたしのいのちを大切にしたら

あまりに傷ましいニュースばかりを見ていたら引っ張られて自分が萎んで使い物にならなくなってしまうから、あまり見過ぎないように気を付けている。
でも、あまりに見なさ過ぎると他者への共感や思いやりに欠けていくような気もして、世間知らずで且つ薄情な人間になってしまう気がする。
このバランスが今、難しく感じないだろうか?

世界や国内のあちこちで起きることもそうだし、身近な人に起きることもそうだし、ちゃんと自分が後悔しないようにしっかり見て然るべき行動が取れる自分でありたい。
そのために私が大切にしていることを書こうと思った。

この一、二年の間に私は両親を続けて見送った。
でも単純に寂しいとか悲しいとかそういう感情ではないものが渦巻くものなんだと知った。悔しいともいえるような違うような、複雑な気持ちを体験した。
彼らにとって生き辛いこの世を卒業していった、という一種のすがすがしさも感じつつ、まだ私に取り組むべき宿題を残してこの世を去っていったようにも感じる。
思い出せばセンチメンタルにもなれるし、親孝行できなかった後悔もいくらでもあるんだけど。
とはいっても思ったより冷静で。
なんだか本当に不思議な感覚なのだ。

「真面目なこと言っちゃうけどさ~、人生って思ったより長くないと思うんだよね。だからさ、やりたいことはやらないと~!楽しまないと~!」とカウンター席の2、3席向こうに座っていたおじさまが、お酒の席で言った一コマが、なぜかずっと記憶の中にある。
その日に初めてお会いしたおじさまの一言。
私は初めましての方ばかりのカウンター席でおでんとノンアルでスナックデビューした日。

笑いが絶えない楽しい夜の席で、特にシリアスでもなくさらっとその言葉をインプットした私は、なんの感情もつけずに「そうかもしれないな~」と思ったのだった。

今、父と母が居たら、「小さなやり残しはあったけど、この世は割とまっとうしたよ。」と言うんじゃないか。
「末娘の敷いたカーペットにはのらない」。
そういう頑固さがあったから、私はある意味その意志を尊重して見送りした。
死を覚悟したときに彼らは「まさか自分の人生がこうなるとは。」と言っていたけど、それでも究極その人生を選んだのは本人だったように思った。
いくらでもサインは来ていたし転機と思えば、他の選択肢もあった。
このからくりは体験した人でないと分からないのかもしれない。

私の人生も自分が思っている以上に長くはないかもしれないのだ。
そして長ければいいとも正直思っていない。
変に焦っても時間を楽しめないけれど、毎朝目が覚めて、清い朝の空気を胸いっぱいに吸い込める、心臓が動き、肺が膨らみ、痛みなく体を起こすことが出来る幸せを噛みしめて、短くても長くても健やかに明るく自分のいのちを使い切りたい。そして、もし明日旅立つなら、笑顔で卒業したい。
私は父と母が足踏みしていたことを一つでも二つでもやり切って生き切りたい。
自分の頭で考えた予定通りにいくことだけが全て良いわけじゃないということも受け入れたい。
両親から残された宿題は、私がどんな風に終わっていけるか、人としての器を試されている日々にある。

話は少しそれるけれど、父を見送る直前か直後くらいに、偶然ラジオで紹介された羊文学の「光るとき」という歌を初めて聞いた。衝撃的だった。
すべての歌詞が生死をさまよう父に重なった。
父への想いがそのままどっとあふれた。
この曲を聴いてここまで腑に落ちたのは、やはり両親が世間知らずの私に死をもって教えてくれたギフトのような気がしている。

「私のいのち」を大切にしたら、世の中は色んなことがあるけれど、何を見ても経験しても、各々今に必要なことを選んでいけるんじゃないかな。
そんな風に思ってずっと下書きに入れてたこの思いを今日、公開してみた。

新年早々、何かと心が揺れ動く慌ただしい2024年のスタートだけれど、自分の内側を落ち着かせ迷いなく進んでいくためにも。
生かされているいのちをほんの少しでも何かに役立てるために私はこれから何が出来るかな。










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