見出し画像

わたしが仙霊茶に惹かれた理由~人と自然のあいだ「間(あわい)」の魅力~

兵庫の山間にあるお茶園、仙霊茶さん。
どうして私がほんの数か月の間に2回も訪れたくなったのか。
目的もあったけれど、フットワーク重めの私が向かう原動力になったのが、共感した価値観。
どんな部分に惹かれたか、沢山あるけれどうまくまとまらず。
家族にだけは語っていた部分(笑)

今でもうまく伝えられるか分からないのだけれど、やはり「いいものは良い」って自分で選べる人にとっての選択肢として知ってもらいたいし、実際素晴らしいお茶園だったと思うので、紹介してみようと思った。
多分、ロングロングストーリーになってしまうので、気長に気が向いたときにさらにクローズアップしていく形になるかも。

まずは、2月にティーフェスのブースでお会いしてお話を伺ったときに、素敵だなと思ったことは、例えばこんなところ。

  • お茶園を始める時のエピソードについて(前回、前々回にも書いた内容なので割愛)

  • 周囲の人が「自然栽培」に寛容であったという話。「自然栽培?この辺りは自然多いし、ええんちゃう」という自然栽培の意味をもしかしたらよく分かっていないかもしれないけれど、温かい歓迎と柔軟な姿勢がある地元の風土。

  • シンプルで省資源を意識されたパッケージでありながらもデザインが素敵なこと。この幾何学模様のようなところにそっとデザイナーさんとオーナーさんの気持ちが散りばめられている。

  • ティーバッグも敢えて大きくは言っていないけれど、質問したら生分解性のテトラバッグを使用していたこと。こういうさりげなく誠実な部分。

  • フレーバーティーも天然素材を茶葉と合わせて混ぜ込むタイプの着香方法で、かつその食材も包装もなるべく地元のものを使用していたこと。

  • 自然栽培であるという以上に、社長さんご自身が自然体でとても正直にフラットに答えてくださったこと。


お茶の花入りの煎茶

とこんな感じである。
社長さんのお人柄もあるけれど、この地、兵庫県神崎郡神河町自体が「自然栽培」または社長さんがコンセプトとしている「あわい」の在り方と、とても親和性のある地域に思えてならなかった。
地方にありがちな保守的で新しい物事や人に対して厳しい印象とは、少し違うかもしれないという予感がした。
だからこそ、これまであまり縁のなかった兵庫の地でも私の気持ちが向いたとも言える。

限りなくゼロカロリーへという視点

私が今年の2月に社長さんにお話をうかがった時に、いくつか印象に残っている話があった。
(「自然栽培?ええんちゃう!」の話も大好きなんだけれど、この話はまた後日)

その一つが、「お茶を低カロリーで作りたい」という話。

「私ね、お茶を限りなく低カロリーで作ってみたいと思ってるんです。
もともとお茶に興味がなかったから、お茶農家をやるとなってから色々勉強していくうちに、気付いたことがあって。
食品としてのお茶はほぼゼロカロリーでしょ。
でもお茶を作る工程はそれに反してかなり高カロリーな(石油やガスなど必要なエネルギーが多い)産業なんじゃないか?と思ったんですよ。」


兵庫県産の無農薬の食用バラも材料の一部にしたローズ煎茶

この視点、まさに私も昨年に紅茶産地スリランカを再び訪れて感じたことだったのだ。
茶葉を摘むのは沢山の女性たちの手なのに(もちろん人のエネルギーも消費カロリーとして計算したら相当なのだけれど)、集められた茶葉はとても大きな工場へトラックで運ばれた後、ベルトコンベアーで運ばれて、大きな萎凋槽の中に入って、絶えず送風や水分を送られて、熱を帯び、常に大きな揉捻機がぐりぐりと何度も稼働していて、その後は人も倒れそうになる程高温の乾燥機に入って、、、と切りがないので省略するけれど、かなり工業化された工程の中で作られているのだ。
もちろん、その工程の一つ一つを観察して微調整をしながら管理しているのは熟練の人がなせる業ではあるのだけれど。
正直、実際に稼働している大きな製茶工場へ行くまではそこまでは意識が及んでいなかったと思う。
特に、オーガニックの小規模な製茶工場を見学した後の大きな工場見学だったので、特に感じた。
お茶の大半がどれだけエネルギーを使って作られているのかということに。

これまではただ、あれだけ自然豊かなスリランカの国土の中で長年、単一農業としてのプランテーション農園を行ってきたことによる土壌の状態に漠然とした不安を感じたり、ある種の違和感を感じていたに過ぎなかった。

でも、お茶産業に新規就農した人だからこその視点で、第三者的にお茶の産業を見ていたら、確かにエネルギーコスト高い食品だと感じるだろうなと気付くことが出来た。

元々お茶好きな私からしたら、お茶という作品そのものにひいき目があって、なかなか実感できなかった部分だった。

ここで念のために言っておくと、上記のことを過剰にネガティブに捉えて批判したいわけではなく、その時々の事情やそれぞれの両面の良さもあって然りだと思っている。
これまで受けた恩恵もあるし、今でも感謝して享受しているのは、私自身にとってもまぎれもない事実だ。
けれど、特に健康志向の世界中の多くの人々にお茶が注目されている昨今の状況下にありながら、もしお茶の生産者さん側に無理が来ていたり、滞りがあったり、上手くいっていない側面があるのだとしたら。
お茶産業全体のシステムのどこかで不自然な部分が露呈してきていて、自然と不自然の狭間でこれまた自然の成り行きでそのようなことが起きているのかもしれないとも思ってしまう。
まるでシーソーのように。

敷地内に流れるこの清らかな沢水も
ろ過して使用していた

抽象的な言い方になってしまった。
完全な「自然」というものがあるとしたら、それは野生動物たちの住処で人間の入っていく余地はなさそうだし、人間も自然に依存している生物だから、究極何をしても完全な「不自然」もない。という前置きをした上で、とっても生意気に端的に言えば。
けれど、どちらかにやりすぎになる可能性はあると思っていて、そのグラデーションを自分の心地よいところで見極めていけたらいいな、とは私自身が思っている。
そして、その想いは実際にお茶やスリランカについて関わり始めてより強くなってきているということなのだ。

ちょっと話がそれたので、仙霊茶の魅力について話を戻すと。
仙霊茶の「季節や年月、茶の木の個性による味のブレをそのままワインのように楽しんでもらう」というコンセプトや、栽培製茶方法、運営方法などの節々からも「間(あわい)」という表現がとてもぴったりな点があり、私が日頃感じていた自然とのグラデーションとまさに近い感性かもしれないと感じたのだった。
それが初めてお会いしてお話しを聞いた際に、仙霊茶に魅力を感じたところだ。

そして仙霊茶のお茶園に訪れて目の当たりにしたのが、実際に「できる限り低カロリーで無理なく生産する方法」を日々試行錯誤して進化しておられる様子。
その工夫や取り組みがとても興味深かったので、次回はその様子を紹介したいと思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?