泥と手間
一. 幸福とは今よりマシ≒上向きの差分のこと
二. 弱みを凌ぐことが自分を幸福に押し上げる
三. 祈るには対象が必要
自分の持ってる道徳感は一般的なものを少し調整していて、自分がどう感じるかを軸にしている。善悪や良し悪しは誰かに意図的な危害を加えていない場合人生観≒主観だ。例えば利害が一致している時、関係を築こうとするのか道具として利用するだけなのかという違いがある。お互いを道具として利益のために利用することは何も悪いことではないが、私はそれをすると自分の心に泥が付くような感覚がある。他人に危害を与えることに関しても別の論点で問題となるだけで、それ自体の善悪は良し悪しはないと思うが、泥が付くような感じがするかは別問題な気がする。そして心を洗濯するための洗剤なんてものはないので落とすにはとても時間と手間がかかるし、放っておくと心が渇いて割れやすくなってしまう。自分を鍛えることが泥を落とすことに繋がる時もあるが、割と別の努力が必要だと思う。この問題について私は明確な答えを持っていない。一つ言えることは人間関係における手間を省かないということだ。
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