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さよならの挨拶をして

朝の7時半、バイト先へ向かう道すがら、
ふと目に止まる花があった。

その花たちは、立派な日本家屋の石垣の間から茎を伸ばし、群生していた。

5月。はじめてその道を通った時、
その石垣の間に黄色い花が咲いていた。

周りにはつぼみがたくさんなっていて、これからどんどん開花を迎えるのだろうなと思った。

それから数日後、開きかけたつぼみの先から、
赤い(ピンク?)花びらが顔をのぞかせた。

私が黄色い花が咲くとばかり思っていたつぼみたちは、どんどん赤い花を咲かせていった。
わあ!意外だ、かわいいなあ!



緑色のつぼみの先端から出た赤い花びらは、
やがてふんわりと丸い花の形に開いていく…

毎朝、この花たちの様子を観察するのが日課になった。

今日も生きてる!生きてる!生きてる!


梅雨を越えて、初夏を迎え、立秋の季節になっても花たちは開花を繰り返し、咲き続けていた。
枯れないのかな?

毎日少しずつ変化をしながら、
でもそこにずっと居てくれる存在に
私は勝手に愛着を感じていた。

ある朝、いつものように家の角を曲がり、目指す石垣に目を向けた時、体全部の血の気がサーっと引いていく感じがした。
……ない。

いつもある場所にない。

昨日まで同じようにそこにいた花たちは、刈り取られてしまっていた。

私にとって毎朝欠かすことのできない存在だった花たちも、その家の主人にとってはただ石垣から生えている雑草に過ぎなかったのかもしれない。

雑草は、煩わしいと思えばすぐに刈り取られてしまうような存在だ。

今日も生きてる!生きてる!生きてる!

は、突然いなくなった。

当たり前のことなんだろうけど。

いなくなる、がいちばん悲しい。

今でも、茎の根元から刈り取られてしまった跡を見るたび、心の隅っこのがらんどうになったところがきゅぅ、となる。

もし、あの時あの花たちが刈り取られず
ずっとそこにあり続けていたら、
私はいつの間にか花のことを忘れ去っていたかもしれない。


だけど突然の別れによってあの花たちの存在は、私の中でずっと忘れられないものになってしまった。

心の中から消え去っていくことと、ぽっかり穴が空いたままになることは違うものだと思う。

ちゃんとさよならができるお別れは
どのくらいあるのだろう。



わたし、雑草の生きる力は強いって知ってる。

また春がきて新芽が顔を出してくれれば、
またあの花たちに会えるのかもしれない。

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