青雲のうた


「頼む万二郎、友ならば、この俺の願いを聞いてくれ!俺のために、その異人を見事斬ってみせてくれ!」

半生を共に過ごした相手は深く項垂れていた。
どうか、どうか分かってくれ。御託を並べなどせずに俺の元へ戻って来てくれ

「万二郎!!」





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あれは、遠くで鷹の鳴声が響き、風も心地よく空の機嫌も悪くない日だった。
眞吾と万二郎は千葉道場の若手一の剣客"鬼鉄"こと山岡鉄太郎に連れられ老中阿部正弘と対面し、アメリカ使節の通詞の警護を持ちかけられたことがあった。

「「異人の警護!?」」
これは命令ではない、と老中は言った。
「構わぬ、正直に申せ。嫌なら辞退してもよい。警護役が異人と諍いを起こされても困るからな」
「いかに御老中の仰せとは申せ、異人を守ることなど死んでも承服致しかねます!」
慎吾は武士の面目を保つべく決然とした態度で断りを入れた。
「今、使節として我が国に来ている異人たちの身に何かあったら、我が国の立場が非常に危うくなる。異人を守ることは、上様のお役に立つことでもあるのだぞ」
「上様のお役に立つ……」
老中の言葉は万二郎の心を揺らした。
「そうだ。誰かが命を捨てても、守る必要があるのだ。今、アメリカと戦になどなったら、残念ながら我が国に勝ち目は無い」

慎吾は何度か口を挟んだが、老中は気に止めていないようだった。
老中は万二郎を見ていた。

「伊武谷はどうだ?」
「本当に、それがお役に立つのでございますか?異人を守ることが……?」
「 貴様、出世話に目が眩んで、魂を異人に売り渡す気か!」
ここでもし選択を間違えば、俺たちはどうなる?
「そうではない、そうではないが……俺たちがお役に立つには、この腕を使うしかないからな……」
「しかし、毛唐の警護だぞ。貴様は、今まで磨いてきたこの腕を、異人などのために使って平気なのか!我が同胞を斬るつもりか!!」
沸騰しそうな血が全身を巡り、胸ぐらを掴み激高した。
眞吾はどうにか万二郎が思い留まるよう説得したかった。
「鷺村、そちはもうよい。あとは伊武谷と二人だけで話す」
もうひと押し、なにか言わなければ。このまま下がってしまっては、俺たちは。
「鷺村、大義であった。下がれ」
下がれという言葉が放たれれば、一端の侍は下がるしかない。
もう何も言わせてもらえなくなってしまった眞吾は一礼し、根を生やそうとする足を無理やり動かしその場を去ろうとした。
「待ってくれ、眞吾、」
やはり私にも出来ません。そう言って万二郎も眞吾に続こうとしたが、阿部はそれを許さなかった。
嫌な予感が腹の中で渦を巻いているのを感じながら、後ろ髪を引かれる思いで眞吾は一同の前から姿を消した。

このあと上様からの大命により、眞吾が危惧した通り万二郎は異人の警護を任されることになったのだった。



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鷺村眞吾は、目の前に立つ伊武谷万二郎と同じ様に己の刀を構え、いつになく真っ直ぐな視線を受け止めたまま対峙している。

互いに北辰一刀流、同じ道場で何度も手合わせをしてきたのだ。
鉄太郎からの奨めも受けながら、共に日々の修練に励み高め合ってきた。
北辰一刀流とは追って水戸藩剣術師範となる千葉周作が創始した、北辰夢想流と小野派一刀流中西派を合法させた流派である。

二人の周囲には攘夷の刺客として結成された分隊が冷えた亡骸となって転がっている。
腰を抜かした女中と神妙な面をした異人が、かつて親友だったはずの二人の男を固唾を飲んで離れた場所から見ている。
その空間は、道場で明くる日も打ち込んだ竹刀稽古がまるでお遊びのように感じられた。
徳川三百年の御世では大きな戦が勃発することもなく、青い二人は今のいままで誰かの息の根を止めた経験が無かった。
万二郎は身の回りで当たり前に起きている"己の手で生殺与奪する"という侍の冷酷な実態を、たったいま生まれて初めて思い知らされたのだった。

もう、戻れないところまで来てしまった。

侍として生まれたからには、己の行動や口から出た言葉を簡単に覆すようなことは出来ないのだ。
忠義の像が違った。たったそれだけで、侍にとって最も大事なそのひとつのことで、互いの行く末を何度も語り合ってきた二人のどちらかの命が、まさかここで失われることになろうとは。


「「ゔああああぁぁぁ!!!!」」

凄烈な気合い。のち双方の刀が衝突した。
刹那、天道のような黄金の光が万二郎の刃に、稲妻のような白銀の眩い光が眞吾の刃に宿る。
睨み合う二人の気迫はさながら虎と龍のようであった。


刀越しに互いのみ集中する。
普段の稽古でもこうして刀を交えて目を合わせ、心にふれあうことが出来たからこそ、二人は肩を並べて走っていける関係になることができたのだった。


半歩退き、眞吾が斬り掛かる。
一騎討ちの最中、眞吾は万二郎の瞳の中に、万二郎と過ごした日々の思い出を反芻していた。

『眞吾、峰打ちだぞ!斬るなよ!』


横走りながらも視線を外さない。

『眞吾、手を貸せ』



刀を構え直し、両者いま一度斬りかかる。


『俺の親友の、鷺村眞吾だ』



鍔迫り合い、肩がぶつかり合う。
鉄砲で撃たれた右腕がどんどん重くなっていく。



『待ってくれ、眞吾、』


距離を取り、眞吾が斬りかかった。
万二郎は躱したが、左腿に鮮やかな赤が描かれる。


『おい眞吾、こいつらを止めてくれ。頼む、日本のためなんだ!これだって日本のためなんだ!』



片膝をついた万二郎の隙を狙い、刀を振り下ろそうとしたそのとき、


『目を見てくれ!眞吾、頼む、この俺の目を見てくれ……』






脇腹に刃が刺さり、燃えるような痛みが眞吾を襲った。






​___________ここまでか。


最後の力を振り絞り、眞吾は万二郎の肩に手をかけた。
一度始めたことは決着がつくまでやり遂げなければならない。
最初からわかっていた。
伊武谷万二郎は物事を深く考えることの出来る男であった。
眞吾はこれからも万二郎と併走していきたかった。
それでも自分の信念を曲げることは絶対に出来ない。

心優しい万二郎が刀を抜いたのなら、最後まで成すべきことをやれ。

これから起こる未来を受け入れた眞吾は、刀を握りしめている右手にありったけの力を込めて突き出した。
万二郎が躊躇わぬように。

貫き通せ。お前が決断したことなのならば。


「ゔおあああぁぁ!!!!」


万二郎が刀を一直線に振り切った。



二、三歩踏みだしたのち、息を一つはいて視界が地面と平行になった。

夷狄が割れんばかりに手を叩く音、知らない言語が脳内にわんわんと響き渡る。
そいつの足元に置かれた鉄砲で打たれ、ふれんどとやらに裏切られた俺を笑っている。
なあ、万二郎、本当にその異人はお前の友なのか。
この俺と命を懸けて刀を交えるほどに、その男は守らなければならない奴なのか。

俺は、何かを間違えたのだろうか。

万二郎、



遠のく意識の中で、聞き慣れた声色の咆哮が眞吾の鼓膜を震わせた。
生涯で唯一背中を預けられた人だった。
命の輝きを失ったその遺体の眼には、泣き崩れた万二郎の姿だけが映っていた。

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