53.アナーニ事件ってなに?
①十字軍の失敗が続く。
度重なる十字軍の失敗にフランスが次第に財政が圧迫されていく。
不満がたまっていくフランス王。カトリックがずっと言っていた救済が訪れるのか疑問が上がっていた。
そこに教皇がまた課税を要求してきた。教皇に逆らえば、破門は免れない。
フランス王は堪忍袋の尾が切れた。フランスへ教皇が課税するのは完全に間違っている。
これに対し、教皇はフランス王を破門されそうになる。
フランス王は考えた。破門されても皆がフランス王を見放すことをしなければいいのだ。
②破門への対抗策を練る
今でいう議会、三部会を開き、皆に確認をとる。
三部会の皆はフランス王を信じ、破門されてもついていきますと言う。
教皇よりも、フランス王についていくと。
フランス王は早速教皇を逮捕しにアナーニ村へ向かった。
③アナーニ事件
アナーニにいたボニファティウス8世は捕らえられてしまった。
教皇「なんたることだ。許さん。フランス王は破門だ!」
仏王「どうぞ、ご勝手に。私には家臣たちがついております。」
家臣「おおおおおおおお!」
教皇は怒り狂い、死んでしまった。
教皇の怒り狂う死に方を憤死と言う。
⑤その後
教皇はフランスの軍門に下った。そして教皇庁がフランスへ移される。
教皇庁は行政機関ね。
これにイギリスや神聖ローマ帝国が反発。
イギリス「フランスの権威が上がるのは許せん。」
ドイツ「戴冠式をなぜ、フランスへ行ってしなければならんのだ。」
そしてさらにイタリアの教皇領が新たな教皇を立ててしまう。
そ、教皇が二人になってしまったのだ。
これを大シスマと言う。
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