98.アメリカ独立戦争 その3
①転換点、サラトガ。
独立宣言したものの、イギリス軍の猛攻に徐々に苦戦を強いられるアメリカ軍。独立宣言に署名したひとり、ベンジャミン=フランクリンはフランスの支援をとりつけるために奔走していた。しかし、フランスのルイ16世は先代ルイ15世の放漫財政に苦しめられ、もしここで負けたらフランスは窮地に立たされる。アメリカが有利になるまで援軍を送る余裕がなかった。
そこへ、アメリカ独立を聞きつけた人々が義勇兵として参戦した。この義勇兵たちの中に、フランス革命を主導するラファイエットや、ポーランド独立を試みたコシューシコらがいた。彼らが、アメリカ独立の思想を本国へ持って帰るのだ。
ぞくぞくと参戦する義勇兵のおかげで戦いは徐々にアメリカ優位に変わっていく。
サラトガの戦いでアメリカが勝利すると、アメリカ優位に事が運び始めた。
②孤立するイギリス。
フランスがアメリカの援軍として参戦する。
ルイ16世「もしアメリカが勝利すればフランスは新大陸での勢力を回復することができ、イギリスの勢力を削ぐこともできる。一石二鳥だ。」
同じブルボン家のスペインもアメリカ側で参戦した。
イギリスはフランス参戦に敏感に反応した。ヨーロッパがアメリカに向けて出る船を全部沈めようとした。海上封鎖だ。
この海上封鎖にロシアが反応した。
エカチェリーナ2世「中立国の船を捕縛するなんて信じられないわ。ヨーロッパの皆さん、我々はイギリスの海上封鎖に強く反対し、権利を守るのよ。」
武装中立同盟が結成され、イギリスは国際的に孤立した。
③戦いの結末
孤立したイギリス軍は次第に劣勢になり、ヨークタウンの戦いでアメリカ軍が勝利すると遂に停戦やむなしとなった。
戦争で勝つ国は、いつも戦術ではなく、戦略に長けている。
日露戦争の日本も圧倒的劣勢だったのにもかかわらず、ロシア国内で革命を働きかけ、内部を混乱させ、イギリスとの同盟も結ぶ。
第一次世界大戦中のイギリスは、秘密裏に三枚舌外交を行い、結果的にオスマン帝国を地上から葬り去った。
いつだって、裏方の仕事が世界を動かす。
④パリ条約
パリ条約で正式に休戦となった。
イギリスがアメリカの独立を認めたのである。(1873)
イギリスとフランス・スペインの講和条約はヴェルサイユ条約という。
第一次世界大戦の講和条約もヴェルサイユ条約だが、関係ない。地名を条約の名称とすることが多く、同じ名称の条約は他にも存在する。
フランス:イギリスからセネガルを返還
スペイン:イギリスからフロリダを返還
フランスは苦しい財政の中、戦争に参加したのにも関わらず獲得できたのがセネガルのみだったため、財政難が改善されずフランスは革命前夜の雰囲気となっていく。
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