102.ピルニッツ宣言と立法議会
①ピルニッツ宣言
ヴァレンヌ村での逃亡が失敗した妹の身を案じていたオーストリアのレオポルト2世。妹マリーたちを助けるためにプロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム2世を誘ってフランスの革命貴族達に外交的圧力を加えることにした。
墺普「これ以上フランス国王に何かあれば実力を行使する準備がある。」
フランスの革命家たちはこれをまともに受け取った。
革命家「なんだ、やってやるよ。戦争だ!」
②91年憲法制定
このタイミングで!!!!!!
ラファイエットの念願かなって、フランス最初の憲法が制定された。
イギリスのような立憲君主政を採用しているため、国王がいる状態での議会による政治運営を明記していた。財産も認めていた。
しかし、ヴァレンヌ逃亡事件の影響で国王の権威は地に落ちていた。立憲君主政を認める人々は少なかったのだろう。
ルソーの思想を受け継いだロベスピエールは不満を溜め込んでいた。
ロベスピエール「憲法制定して革命終了か?私は認めない!土地の所有権を廃止し、貧しいサンキュロットたちに土地の分配を行い、王を打倒しなければ革命は終わらない!」
③国民議会 → 立法議会
91年憲法ができたので、国民議会は解散し、新たな議会ができた。
立法議会だ。派閥は、
フイヤン派:立憲君主政、自由主義貴族
フイヤンとはフイヤン修道院を本拠地としていたから。
ジロンド派:穏健な共和政、裕福な商工業者(ブルジョワジー)
ジロンドとは、指導者の多くが、ジロンド県出身だったから。
中間層の大半はジロンド派の味方だった。
議会では、立憲君主政の維持か、共和政の移行かで揉める。そこでジロンド派は軍を利用することにした。
イギリス革命の時、共和政を願う独立派の中のクロムウェルは軍を掌握し、ピューリタン革命を成功させた。
ジロンド派もイギリスに倣い、フランス軍を掌握することで共和政に移行し、国王を追い出そうとしたのだった。
軍を掌握するには戦争が発生すれば早い。目的が同じくなるからだ。
ジロンド派「ちょうど、オーストリアとプロイセンがピルニッツ宣言などと脅しをかましてきたわ。これを利用しない手はないわね。」
④対オーストリア戦
立法議会で戦争実行を可決し、オーストリアとの戦争が始まった。
ジロンド派「この戦争に勝てば、国内世論は私たちの味方よ。」
しかし、フランス軍の足取りが重い。
フランス軍の指揮官達は貴族出身者が多い。つまり議会で言えばフイヤン派の人々だ。
ジロンド派は兵士たちには人気があったが、指揮官たちは冷たい視線を送っていたのであろう。
オーストリア軍はどんどん首都パリに迫ってくる。このままでは、オーストリア軍がフランスを占拠し、フランスブルボン家と手を組んでジロンド派を追放し、フイヤン派の独裁が始まってしまう。
ジロンド派はジャコバン修道院で集会を行っている急進的な人々に助けを求めた。
ジロンド派「ジャコバン派のみなさん、民衆に人気がありますよね。是非とも我々に加勢してください。」
ジャコバン派「いいでしょう。しかし、敵はオーストリアではありません。オーストリア軍をフランス国内に引き入れている真の敵がいます。それは、フランス国王だ!!!!!!!!」
この義勇兵、「連盟兵」たちは、真っ直ぐ王のいるテュイルリー宮殿へ向かっていくのであった。
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