みんなの森 ぎふメディアコスモス
2019 11/9
みんなの森 ぎふメディアコスモス にて
思ってた以上の迫力。
天井が、傘が、「地形」とも呼べるようなやわらかくも圧倒的な環境をつくっている。
そしてその地形の上に本棚や机、椅子いろんなもの達が場を記述していた。
傘から同心円上に、ある特性を持った場が広がり、その場と場の間にベンチや椅子、机、舟状の読書スペースなどいろいろなモノたちが適切な密度で広がっている。
建物自体がつくるインテリアは、建築というにはあまりに曖昧で、そうした曖昧さがいろんなものが挿入される余地を生んでいて、結果としていろんな場がつくられている。
にゃん吉は使われる時を待ちながら、
こども達を見守っていたり、、、。
本当に、いろんなもの達がいて
うまく共存している様子。
2階だけじゃなくて、1階のつくられかたも同じくすごく好きだった。
空間の束としてつくるんじゃなくて、
建築が囲いとった領域に、機能が収められたボリュームだったり、ベンチや机、椅子、カウンターなどのモノが広がって場をつくっている。
本当に、森とか街中とかそういう感じ。
モノや柱の間隔、傘の広がりとかが居心地の良い場所をたくさんつくっていて、実際に多くの学生や年配の人、親子連れの人たち、いろんな人がそこから自分たちの居心地の良い場所を見つけてる。
コミュニティセンターとしての機能が収められた1階のボリュームと天井の接合部が間接照明によって照らされている。
壁の仕上げを変える操作も相まり、これによってボリュームは一体としての建築じゃなくて、森のような建築に貫入された建物群のような様相になる。
こういう操作は特に1/1で効果的だと感じる。
メディアコスモスや石上純也のKAIT工房など、壁や扉とかで整理、積分化された空間じゃなくて、広がったモノ同士の関係性で場つくられる建築に言えることだけど、そうしたいろんなものの「密度」が肝だなって感じがした。
情報の集積、地域の憩いの場としてすごくよくできた建築だと思うし、こういうあり方の建築はすごく憧れる。
見学してるうちに夜になったけど、
夜は夜でまた少し違った見え方。
昼間や夕方でも、この圧倒的なインテリアがどこまでも続いているような錯覚をしたが、夜はさらにガラス面に内部が映り、本当にどこまでも広がっているよう。
こういう、空間じゃなくて環境の総体としての建築はミースが示した無色透明な空間へのアンチテーゼになる。
無色透明じゃなくて、地形のような「何かがあること」で生まれる多様性が持つ可能性。
設備の制御とか、テクノロジーが発達することで、空間以外の居場所のつくり方があるのではと思った。
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