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結局道草食って生きているvol.34





わたしが大好きな小説家
吉本ばなな先生(と勝手に呼んでいる)
のコラムを最近、有料会員登録した。

以前まで、見出しだけは無料で読めるゾーンだけをけちけちけちと読んでいたワタシ。

なんとなく、いつもギリギリまで課金というものは選択してこないタイプだった私なのだけど、今回、そのぎりぎりを超えて、ついに課金をしたのだ。そのぎりぎりをなぜ超える運びになったのか。

いつものように吉本ばなな先生の無料で読めるゾーンをケチケチと読んでいると初っ端にこんな一説があった。

「決して毎日書けない人を責めてるわけではなく(仕事にしているのでなければ全然問題ないことです)、毎日書かなければ小説家にはやっぱりなれないですよね。

この娯楽にあふれた時代、ゆっくりと書く時間がある人はやっぱり少なくて、それでも書く人はただこつこつと書いている。報われなくてもなんでも書いている。」

※こちらは無料のところです。)


私は特に小説家を生業にしてるわけじゃない。これも完全なる趣味である。

それでも、自分のiPhoneのメモを見ると何年も前から自分のその時の気持ちや忘れたくないことを書いている。数にするとなんと900件は超えていた。

そんなメモはもう整理なんてできないくらい日記だらけ。ぐちゃぐちゃなのだ。

時々それらを整理しようと思って読んでいると、当時自分が考えていたことやことばにハッとする。
そうしてまた、それについて続きを書いたりしていると気がつけば時間が経っていた、みたいなことはたくさんある。だからメモの整理は中々終わらない笑

それで、さっきの吉本ばなな先生の一説をみて、書くことを生業にもしていないし、自分の仕事もある。それかのに毎日飽きもせず書き続けてるなんて、私はやっぱりこれが大好きなんだと思った。

しかし。いいねの数やストーリーのみられる数がみえていくと、段々と誰かにとって意味があるものか、面白いものであるべきとか、色々と周りからの評価を怖がってきて、ついには何を書けばいいか分からず。

そうなると楽しかった気持ちがどこかに行ってしまって、なんだかちょっと腰が重くなって投稿もしなくなっていたなとおもった。

最初はただただ、シンプルな好きで始めただけだったんだけど。

「わたし、書くこと好きだと思ってたけど、面白いこと全然書けないし、やっぱり全然向いてないな」とかも思った。

しかし!

本当は、向いてるとか向いてないとか面白いとか面白くないとかそんなのどうでも良くて、ただただ純粋に好きを続けていくだけで良かったんだわ

これでお金をもらってるわけでもないのに、すぐ期待されてもない期待に応えようとして頑張るクセをどうにかしたいなと思う。


好きでい続けるためには、上手に、とか面白いこと、とか気にしないで、適当に自分の書きたいことを書いてみることにするよ。


考えをお披露目することも、なんだかんだ好きだ。そのバランスを考えると、最近はSNSには載せたり載せなかったり。オチも考えず適当に自分の好きなように書いてみようと思ったら、またちょっと楽しい。

なんてさっきの吉本ばなな先生の文章を読んで、本人が伝えたかったニュアンスとは違うかもしれないけど、わたしの中では毎日仕事があったり、山ほど色んな娯楽がある中でも、書くことを毎日続けている。それくらい好きなんだって知るきっかけになった。

気付いたらずっと何かを書いていた。ずっと何かを読んできた。それは全然苦じゃなくて嫌なことを忘れられる時間だった。

そんなふうに思えるものが自分にひとつでもあるなら、それは大事にしていくことだよって自分に思ったよね。

一説でどんだけ遡るねん🤣

なんだか今って、何で生きていくか、みたいなものが先行しすぎて、好きなことができても、何かビジネスにつながるのか、自分にとって意味なるものなのか、これからの投資になるのか、に紐づけてしまうことが多く感じている。

ただでさえ、25歳はいろんなことが先行しすぎてしまう歳なのだ。

30歳までにどれくらいまで仕事はできていないといけないか、今学べるスキルは何か、そうしたら何を今しておくべきなのか、とか、さ

わたしは実際それで、そこまではいかないか…とかよくわかんなくなってやめたこと、結構たくさんある。

どれを選べば後悔しないんだろう

近道なんだろう

お金を稼げるんだろう

地位や名誉を得られるんだろう

そして、安心できるんだろう

みんながそれを求めている。
それは自然なことだとおもう。

そしてわかりそうな便利なものや情報やヒントも世の中には溢れている。

しかし、そうした常に意味のあるものだけにフォーカスを当てる生き急いだ感覚は、同時に小さな生きる喜びみたいなものに気が付かず時が経ってしまう気もする

情報がある世の中は便利でありがたいことばかりだけど、そればかりが社会の在り方になってしまったとき、何か大事なものを忘れてしまわないか不安になる時がある

人の聞く話やデータからでは分からない。自分でやってみないとわからない感情や経験は今でもたくさんあると思うのだ。

少し話が脱線するけど、
おばあちゃん、編み物が大の得意なの
手芸店を何十年も営んでて、
なんでも洋服は自分で作っちゃう

「あの時は、これしか楽しいことがなかったからね」っていう

いいなぁ。今なんて色々ありすぎて
すぐ無駄とかこれは意味があるとか
考えないといけない感じがして
戸惑っちゃう世の中だよ

無いものねだり。

そんなことを思ってたら最近、すごく素敵なお家の一角で不定期でやっている編み物イベントを発見。

いい機会だから参加してみた。
結局全然難しくて、私の横に先生はつきっきりだった笑

でも、気がついたら時間が経ってるくらい
無心になってて、楽しくてスッキリした。

そこで出会うひと、なんの職業をしているか、年齢はいくつか、持ってるものはなんなのか、そんなのは知らなくて、でもお友だちになったよ。何かを持ってたり、年齢がいくつだったりそんなの関係なくて、ただ編み物が気になって知り合えた、お友だち

連絡先は交換しなかったけど
次のレッスンでもまたここで会おうねって話ができたよ

小学生のころに公園で仲良くなった時の友だちみたい!

こんなのも、別にお金にならないし
自分の仕事にも関係ないし、他の人からしたら時間の無駄かと思うかもしれない

だけどこんなフラットな場所が一つあるだけでわたしはすごく気持ちが軽くなって今、こういう時間を必要としていたんだな、と思った。

そしてそういう余白の時に面白いこととか、楽しいことのイメージって湧いてくるんだと思うと、私はなんの意味を持たなかったとしても、そういう時間を大事にしたいなとおもった

遠回りだよ
時間の無駄だよ
意味がないよ

そう思われても、実際にそうかも知れなくても

やってみて、違ったなって自分でわからないと

私はわかれないとおもう

そんなに器用じゃないんだ

それに自分にとっては無駄なことじゃないかもよ

色々先行しちゃう時代だからこそ
時々は道草食って、それも楽しんで生きたい

こうしなければいけないよりも、
せっかくならっていう

小さな楽しいもちゃんと
育てていきたいんだって
吉本ばなな先生のたった一節を読んで
ここまで話が膨らんだ次第である。

あの一説でここまで話が膨らめるなら
そういうことを思える時間は大事にしよう。書こう!あと他にも色々発見したい!と思って課金に至った笑

そんな次第である

そんで今年も私はまた1ヶ月旅に行く

先のこと、先のことってさっきからいう割には
結局道草食いながら歩いてるよ

興味があることがいっぱいあるのも
生きてて元気な証拠ですな

今週はピクニック🧺

みんなも、いい週末を♡




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