マリー・ローランサンの描く絵には鼻がない?アーティゾン美術館「マリー・ローランサン:時代をうつす眼」
私は若き頃、マリーローランサンの絵には鼻がないと思っていました。そしてそれがとても気に入っていたのです。
でも、今回の展覧会で「鼻がない作品」を探す方が難しかったくらい、ほとんどのお顔に鼻は描かれていました。
こんなに鼻は描かれていたのかあ!と本気で驚きました。
でも、鼻がない作品もきっとある!と、
作品ごとに鼻があるかを確かめながら鑑賞していきました。
私のイメージの中にある
マリーローランサンの絵が観たかったのです。
あ!これなんかどうだろう?
この作品などはパッと見たとき鼻を感じなくて、「これこそ私の思うマリーローランサンの絵だ!」などと勝手に思い、感動いたしました。
こどもの頃やたらと鼻にこだわったことがありました。どうしても描かなくちゃだめだろうかと本気で悩みました。
というのも、学校などで自画像やクラスメイトを描く時、鼻を描くとたちまちブサイクになるような気がして、描いている友達にも申し訳ないような気がしたのです。
どうして鼻を描くと顔の印象がこんなに変わるのだろう。
みたままを描いているつもりなのに、どうして鼻という存在はこんなにもインパクトが強いのだろう。
鼻の形が悪いのか。
私が形を悪く描いてしまうのか。
なるべく目立たないように描いたり、イラストならその顔に合った鼻というのを研究して、かわいい!すてき!と思うまで繰り返し描きなおしました。
ある時気づいたのです。
「鼻がない顔」がかわいい!
子供の頃誕生日といえば必ず買いに行った近所のケーキ屋さん。そのお店の包み紙の絵が鼻のない顔のイラストでした。
このイラストがかわいくで大好きでした。
たしか・・・私の記憶違いでなければ昔はもっと色数が少なかったように思います。途中からこんな風に色数が豊富になったのではなかったかなあ。
カラフルになってさらにかわいくなりました。
色合い。
これも絵の印象に関わる大事な要素ですよね。
グレーとピンクと水色という組み合わせ、これが、私にとってのマリーローランサンっぽい色合いでした。特にグレーの色が印象的です。今回の展示でもこの3色がいたるところに使われていて、ひさしぶりにしっかり「マリーローランサンの絵を見た」満足感にひたりました。
でもマリーローランサンの作品はどれもかわいいなあ!
今回はそんなことをしみじみと感じました。
鼻があってもなくても、グレーやピンクや水色でなくても、素敵な作品がたくさんあります。
特に今回みた『椿姫』の12点の原画は、水彩の淡い色がとても美しく、いつまでも見ていたい!と思ったほどでした。
それに、この『椿姫』の額縁もいいなあと思いました。
ローランサンの甘美な作品にとても似合っています。
金色の額の上から白い色をコーティングさせたようにみえますが、うすい砂糖をコーティングさせたお菓子を思い出させます。(強いて言うなればウィークエンドとか草加煎餅とか。笑)
この額の色合いと植物の柄の装飾が彼女の作品をいっそうひきたてているように感じました。
今回驚いたのはローランサンの自画像です。
なぜこんな不機嫌そうな顔を描いたんだろう。自画像の作品として珍しいと感じました。
また、マリーローランサンってこういうお顔だったのかあ。ということも思いました。それこそ、鼻が特徴的な人に感じました。
とにかくインパクトのある表情にひきつけられましたが、私の思う、「ローランサンっぽい作品」からは全く違う雰囲気であり、また、真剣さというのでしょうか、絵を描くことにとても熱心だったことが感じられます。
ローランサンは自分の容姿を醜いと感じていたといいます。この自画像は、顔の中でも嫌いな部分であった腫れぼったい目や厚い唇を強調して描いたのだそうです。女性が画家として食べていくのは難しかった時代でもあり、そういう不安な気持ちも、この「自画像」には表れていると言われています。
ローランサンの写真をみつけました
かわいい!
素敵な女性ですね!
まさにこの自画像を描いた頃の年齢ですが、自画像とは別人のようです。
ローランサンの母ポリーヌは家政婦の仕事に就いた時、雇い主と不義の関係をもち、マリーは婚外子として産まれました。出生届には母の名は記されていますが、父親にも母親にも認知されていませんでした。
お針子の仕事で生計をたてる母親と時々訪れる父親からの援助でマリーはミッション系の学校で学んでいましたが、ある日画家になることを決意します。しかし女性が外に働き口を求めても農業従事者かお針子、家政婦という低賃金の労働しかない時代、男性的価値観に独占されていた芸術の世界で女性が職業画家になるというのはきわめて難しいことでした。
母ポリーヌもマリーが教師になることを望んでいましたが、学校を卒業すると母親を説得して陶磁絵付けの学校に通ったり、デッサン学校に通って水彩を学んだり。
当時まだ女性には開かれていなかった芸術の世界へと近づいていきます。
1902年、ローランサンは女性にも門戸を開いていた私塾アカデミー・アンベールにて本格的に絵画を学び始めます。彼女は19歳でした。
ここで様々な出会いがあります。
ジョルジュ・ブラックともここで知り合いました。
ローランサンの才能に驚いたブラックは、当時、世界中から新しい芸術を創造することを夢見て集まってきていた芸術家の卵たちのアトリエ「洗濯船(バトー・ラヴォワール)」という長屋にローランサンを連れて行きます。ここでピカソとも出会い、キュビズムという画法を知ることになります
また、ピカソの紹介でギョーム・アポリネールとも出会い、2人は恋人同士になりました。
アポリネールはローランサンより3つ年上で、当時すでに世間に認められていました。ローランサンはアポリネールとの恋で大きく変わり花開いていきます。
2人が出会った翌年この作品を描きました。
そして初めて買い手のついた油絵となりました。(後に大コレクターとなるガートルード・スタインという人物が購入)
※彼女の絵を購入した人物として、一時期ローランサンの恋人でもあったアンリ=ピエール・ロシェという文学者がいました。彼は画商でもあり、ローランサンにとって重要な位置を占める人との橋渡しをしています。彼の作品がフランソワ・トリュフォーによって映画化されたりなど、興味深い人物です。
そして次の年には、さらに新しいメンバーを加えて第2バージョンを描きあげます。アポリネールはこの作品をたいそう気に入り、38歳で亡くなるまで彼の寝室に飾られていたそうです。
ふでねこさんの作品では、アポリネールとローランサンの様子がとても生き生きと書かれています!
20世紀初頭はマティスらのフォービズムやピカソ、ブラックなどのキュビズムが美術界を大きく変革しようとする時期でありローランサンもその真っ只中でその熱気につつまれました。
しかし彼女はそんな中で悩みながらもフォービズムにもキュビズムにもいかず、独自の作風を開花させ、成功していきます。
アポリネールとの別れの後、ドイツ人男爵との結婚、戦争、スペインへの亡命、そして離婚。様々な困難やつらい経験もありますが、その時々での出会いが彼女にとって重要なものになり、芸術的生活を支えていきます。
そして、彼女らしい「エレガント」な作風をつらぬきました。
離婚成立後、フランスに帰国してからの作品には、かつては嫌いだった黄色を取り入れるなど、ローランサン本人も雑記帳に「大きな革新」と記すくらい変化していきます。そして、「絵の具が銀行紙幣に変わる」と書き込むほど大成功を収めていきました。
今回の展示にはエッチングもいろいろあり、そこにもまたローランサンらしさがにじみでています。
今回の展示で私がいいなあと思った作品3点をご紹介してみたいと思います。
まずはどちらも横長で、水彩で描かれてた作品2点です。
一部をアップしてみます。
情景も色もステキです。
やはり私はこんなふうにグレーが混じったような色だったり、背景にグレーを使っているような画面がローランサンぽくて好きだなあと思いました。
そしてこの自画像です。
おだやかな気品のある表情で、美しいローランサンが描かれています。この絵には若い頃描いた自画像の雰囲気はありません。色も表情も優しさに満ちています。
グレーを基調とした、私の感じるローランサンらしいとても好きな作品です。
2つの世界大戦の最中、激動のヨーロッパ各地を駆けぬけたマリー・ローランサン。1956年、72歳でその生涯を終えます。彼女の遺言どおり、亡骸の上にはアポリネールからの手紙の束が置かれたそうです。
波瀾万丈の生涯ではありましたが、彼女の作品は限りなく優雅であり柔らかな曲線と優しい色につつまれ、いまも人々を魅了します。
●マリー・ローランサン 時代をうつす眼
2023年12月9日〜2024年3月3日
アーティゾン美術館6階展示室
開館時間10時-18時(2/23を除く金曜日は20時まで)
休館日は月曜日(2月12日は開館)
詳しくはWEBサイトにてご確認ください。
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