入院日記14日目シュークリームが食べたい
昨日夕方主治医の先生が検診に来てくれた。
気持ち悪さがだいぶやわらいでいるように感じること、
ピントが合う視界が少し広がったことなどを伝える。
一緒に部屋を出て、廊下で歩く様子をみてもらいながら
だいぶいいですと私は顔をあげて笑った。
そうですね、まばたきも増えてる、と先生も笑う。
そうか、まばたき。
たしかに眼圧というか、痛みまではないがいちいち眼の動きを意識していた感覚がなくなっていると感じた。
もうワンサイクル、この間と同じ薬を使って明日からまた治療始めようかと思っているんです。事前に旦那さんにお伝えしようと思っていたんですが、平日こちらに来るの難しいとのことだったんでもうこのまま明日から始めようかと。
私には言えない何かがあるとかじゃないですよね〜と言ってみる。あははそれはないですと先生。
今回の検査では陽性や気になるところはなかったが強いて言えば値が高かった特殊な抗体があり、そこが原因かどうかを調べるのがこの病院ではできないので東北大学に送ってみようと思う。という話だった。
その辺りがもう少し詳しくわかれば再発防止の方法がわかるかもしれないらしい。
私は改めて先生の表情をマジマジとみた。
感情の起伏がなく淡々と話す言葉の中になにかを探ろうとする。
よく考えてみると私の病名も「おそらく」というもののまま進んでいる。薬もやったすぐは何も変わらず不安だった。でも2日後あたりから少しずつ顔面神経の麻痺がやわらいできたように感じ、
今は、この薬の効果に期待しながら再度挑戦というところで、それしかないともいえるが少し心許ない。
でも先生の表情には
真実を伝えようとする思いを感じた。
わからないことはわからないと言い、
またそこに諦めは感じない。
安易に大丈夫ですからとも言わない。
一緒に病気に立ち向かっていきましょう
そんなメッセージを感じた。
それは
治るとか治らないとかじゃなく
あなたの不安を受け止めていますよと
言ってもらえているような
それは病気を得た私への尊厳のようにまで感じ
不思議な感覚の中で
心から、ありがたいと感じた。
私はこの病状で食べ物が食べれない、美味しくないということにも苦しみ、特に甘いものを考えただけでも具合が悪くなっていたので、おかずも甘みには敏感になっていた。
しかし2日前くらいから無性に生クリームが食べたいなあと思うようになった。この変化ももしかしたら回復の一つなのかもしれない。
しかしそうはいってもいざ口にすると微妙な香りや甘さ加減でやっぱりダメだーということもあるから慎重に想像をふくらましてホントに?ほんとに食べたい?と自問自答を繰り返した。
意を決して、病院の1階にあるセブンイレブンに行ってもいいかと看護師さんに聞いてみる。
うーん。まだ一人でこの病棟以外に行く許可はでてないんですよねー。シュークリームかあ。と困ったように笑った。
ダメかあ。
おねーちゃんに頼んでみようかとチラっと思った。
金曜日に姉がお見舞いに来てくれることになっていたのだ。LINEに書き始めて、いや、と一度消した。
私は自分でも時々思うのだが遠慮しすぎることがある。
図々しいと思われることを極度に恐れているのだ。
迷惑をかけてはいけないといえば「良い人」みたいだが、まさに私は良い人になりたいがためだけに遠慮しているから自分のことしか考えていない訳で、「良い人」ではない。
そのさじ加減がわからずただただなんでも遠慮するだけの様子は良い人どころかむしろ偽善者にまでみえるであろう人柄を映し出していることもうすうす感じていながらどうしてもやめられなかった。
その方がきっと楽だったのだと思う。
しかしこういう点で娘が中学生になった時に仲良くなった友達に学ぶことがあった。
彼女のお家は転勤が多く国内海外ともに転々とし、娘と出会った時もオランダから来たと聞いていたが、
彼女は物怖じせず積極的でとにかく明るかった。
いろんな地を経験してこんなふうに育ったんだろうか?お母さんもこういう人なんだろうか?といろいろ思ったがお母さんはむしろ私みたいな遠慮すぎるくらいのタイプの方で、その後私達も仲良くなるとどうしてあんなふうに育ったんだろうとお母さんも笑っていた。
彼女は娘と同じ部活になり地域の女子野球に所属してどんどん親密な仲になっていった。なんでもとてもがんばる彼女は勉強の成績も良くて有名だった。そして驚いたのはその努力と成果方法をみんなに教えてくれるのだ。
なんでもオープンにし、友達の勉強にも協力し、点が上がれば一緒に喜んだ。一人だけ出し抜こうなんて気はさらさらないようだった。なんて気持ちがキレイなお子さんなんだろうと、ますますなぜあんなふうに育ったのだろうと思わずにはいられなかった。
また、彼女は全く遠慮をしない人だった。全くなんて書いたら本人に全くはいいすぎですよーと笑われそうだが、私にはそう見えた。それが実に爽快なまでに。
彼女はいつもお腹を空かせていた。まあ食べ盛りということもあるし、もともとたくさん食べるとは聞いていたが詳しく聞くとその量は驚くほどだった。
夏休みのある日
部活が終わってお昼に娘が帰ってきたので
家族はもう済ませた後のホットプレートで広島風お好み焼きを作る。その最中彼女から娘にLINEが入った。
家のカギを忘れたという。
今日はお母さんはいない日で家に入れないお腹すいたよーとのことだった。
私はじゃあうちにおいでーと誘った。彼女はとんできた。
一人前の焼きそばはあるが、多分足りないだろうと思い、娘にマルちゃんの3人前入り焼きそばを買って来てもらい、少し迷ったが3人前で作った。キャベツもタップリだ。彼女はわあああっと目を輝かせて頬張った。
かわいい!夢中でペロリとたいらげた。
全然多くなかったようだ。「いつもこれより多いくらいかも」と笑った。ひゃーほんと?と驚きながら4人前にしてもよかったなあなんて思った。
ちなみに彼女はスラッとした背の高い女の子だった。
この時以外にも彼女のエピソードはたくさんある。
特に食べ物系が多い。笑
どれも楽しい思い出だ。
彼女の人柄によるところはもちろん大きいのだが、
遠慮しないされないということの嬉しさというか
甘えることの心地よさとでもいうのか、
一つの愛情表現を私は彼女から学んだと思う。
彼女が自分をとても慕ってくれているのを嬉しく感じ、
私も彼女がとてもかわいいと思った。
だからなにかの場面で極度に遠慮しようとするとき
私はいつも彼女を思い出す。
ここではむしろ遠慮しないほうが私の慕っている気持ちがより伝わるだろうかと考えるようになった。
姉に書いて消したLINEをもう一度書き始める。
シュークリームお願いしちゃおう!
姉は返信の中で
シュークリームならビアードパパにしようか?セブンイレブンでいいの?お安い御用だけど。とあれこれ書いてくれていてびっくりした。
ああ、こんな迷わせてしまって申し訳ないと慌てた。
あまり量が食べれないとか甘さや香りによっては無理があるかも、だから病院の中にあるセブンイレブンでと書いて送ってはいたが、それこそ私が遠慮してセブンイレブンなんて言っているんだろうと思ってくれたんだろうな。私はすぐに返事を書いた。
14時半に姉が到着。それから3時間!
しゃべってしゃべって笑って笑って話はつきなかった。
「思ったより全然元気!」と姉は驚いていた。
シュークリームとロールケーキを買って来てくれた姉と二人でこっそりほおばる。
「おいしーい✨」
もう明日にでも退院できるんじゃないかと思えるくらい
心身共に元気になった気がした。
でも本当は
こんな場面を想像していたのだ。
もうかなり元気よーシュークリームも食べたいくらいなのよーと言って出迎え、
でも会ったら「目玉が動かなくなってるじゃない!」とびっくりした姉が「大変じゃない!大丈夫?」といたわってくれる場面。
「まだまだ体つらそうだねー」という言葉に、
そうなのまだつらいの。病人なのよ。という気持ちを満足させて
ある意味、よっしゃ!みたいな
こういうの、
病人冥利につきるとかいうのかな、
いやそんな言葉ないか笑
ちょっとね心配されたかったみたいで
でも姉に会ったら元気になっちゃった。
目玉の動きもそんなにびっくりされなくて
びっくりされないならよかったじゃん!のはずなのに
いや、変でしょ?変でしょ?って念を押したりして笑
私は何を望んでいたのかな。
人はみんな大事にされたいと思っている。
それには好かれなくちゃと思ってしまう。
だからワガママを言わないようにとか悪目立ちしないよう気をつけようなんて心が働くが、それがワガママなのかどうかは相手が決めること。日頃からの関係性もあるだろう。
それに、人が人を好きになる、大事に思うって
そんな薄っぺらいことじゃないんだもんね。
遠慮にしたって「なかなか打ち解けてくれない」とか「いつまでたってもよそよそしい」とか「感じ悪い」と受け止められることもあるかもしれないし、仲良くなることを拒まれているような気がすることもあるだろう。
でも
逆に良き関係があれば「感じの良い人」にもなりうる。
微妙な関係性を確かめながら
みんな友達作りをしているんだよね。
その時の自分の判断には
みんなどんな折り合いをつけているのだろう。
今回の自分も通して、
病人の気持ちって難しいだろうなってつくづく思った。
軽い病状がいいに決まっているのに
軽く見られるのは嫌だったり
もう平気だよと自分ではいいながら
まだ平気だと思われたくない気持ちになったり。
いたわってほしいとか
この辛さはわからない!とか
意地になって具合悪そうな風にみせることもあるだろう
リハビリの人たちは心理学も学ぶんですよと言っていた。こういう心理も学ぶんだろうか。
でも実践の中で絶対感じることがあるんだろうな。
私の気持ちに寄り添って下さった人たちの顔を
一つ一つ思い出しながら
ありがとうございましたと言って寝よう。