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わたしに教えていたのだろうか

動物が大好きだった。

動物に囲まれて生きていきたいと真剣に考えていた。

畑正憲さんのどうぶつ王国に憧れ、動物の生態に夢中になり、ドリトル先生の存在は夢物語ではなく自分もいつか動物と会話ができることを信じて疑わなかった。

あの頃のわたしの動物好きは、今では考えられないくらい濃厚で思考の大部分をしめていた。
かわいいという気持ちと、
どこか藁をもすがるような思い。
動物たちの存在があの頃のわたしの精神的な面を支えてくれていたようにも思う。

学校でも家庭でも続いていた不安を乗り越えるために、
動物との日々が救いだった。
小学3、4年の頃だ。


「くろ」と名付けた真っ黒な野良猫に会えるのが下校時の楽しみだった。遠くからでも私をみつけると「ニャー」と言って走り寄り、何度も思い切り体当たりしてくる暖かさが嬉しかった。
ひと月50円だったお小遣いをためて買ったツナ缶。
家からこっそり持ってきた鰹節。
アパートの裏庭でこっそり与え、ランドセルをしょったままいつまでも一緒にすごした。

当時はよくダンボールに捨て猫が入って道端に置かれていることがあり、母に必ず返してきなさいと言われるのをわかっていながら必ず拾ってきてしまう。

「こねこあげます」の張り紙も、みれば必ずそのお宅のチャイムをならしてしまうのだった。
数時間後にはまたねこを抱っこしながら謝りに行くことになるのに。
いつかは母が折れて、しょうがないわねえと飼ってくれやしないかと期待していたのかもしれないが、犬猫は飼ってはいけないマンションだったし、母はあまり動物が好きではなさそうだった。

父はわたしが動物好きなことをよく理解してくれて、そんなに動物を飼いたいなら鳥を飼ったらいいとすすめてくれた。自分も子供の頃鳥を飼った事があり、それこそ鳥籠からすり餌から自分でつくったのだそうだ。今では違反になるだろうが、野鳥を捕まえて飼っていたのだという。その捕り方から飼い方からすべてが面白くとても興味深かった。

セキセイインコが飼いやすいからと、ヒナから育て、手乗りとして何羽か育てた。
中でも思い出深いのは真っ黄色の体で目が赤い「ぴーちゃん」。教えた言葉をあの独特なダミ声でたくさんしゃべった。とてもかわいくて姉と夢中になった。
その後文鳥や十姉妹も飼い、常になんかしらの鳥を育てていた。

父が買ってくれた「鳥の飼い方」という本を毎日毎日読んでいたが、ある日著者の方に手紙を書いたら、わたしの鳥に対する熱意に感動してくださり、両手に鳥籠を持って家まで来てくださったことがあった。これにはわたしも驚いた。好きな鳥をあげますと言ってくださり、10羽くらいいただいたのだ。だから一時期などは我が家には鳥が20羽近くいた。今ならそんなに鳥がいたら大変だと思うだろう。自分のことではあるが、あの頃の自分の気持ちがちょっと理解できないような気もしてくる。


鳥の思い出で、忘れられない事がある。

いつ頃だったかさだかではないが、
誕生日プレゼントにわたしは父に鳥が欲しいとせがんだことがある。買ってくれたのは真っ白で赤い目のセキセイインコだった。アルビノという種類だったことは、買ったあとに知った。

父と一緒にペットショップに行った時のことは今でもよく覚えている。アルビノは成鳥のつがいで売られていて、その真っ白い美しさがわたしの目をくぎづけにした。赤い目があのかわいかったぴーちゃんを思い出させた。このこたちが卵を産んでくれたらヒナからまた手乗りを育てられる!迷わず父にこの鳥にしたいと告げた。

はじめてみる真っ白なセキセイインコを手に入れた事が嬉しく、卵を産んで欲しいということにのめりこみ、毎日その研究を怠らなかった。こまめにのぞいたり掃除したり水をとりかえたり、なんだかんだと世話をやき、今思えばやりすぎだったが、私の日々のいちばんの関心ごとであり、やらずにはいられなかった。
大切に、一生懸命かわいがった。

ある日母の姉である、私の叔母の庭でさつまいもができたから掘りにこないかと誘いがあった。
さつまいもは大好きだし、芋掘りは楽しい。すぐ行くことを決め、母と出かけた。

さつまいもだけでなく、他の作物もあり、収穫は楽しかった。天気の良い日で土は乾いていた。
風も強かったのだろう。さつまいもを掘りながら、土が目に入り、ちくりと痛む。
だけどそんなことはよくあることだし、すぐに痛くなくなるはずであった。

しかしその日は違った。

痛みがはげしく増してきたのである。
それでもまだ、目を洗えばと考え、洗ってみたが痛みはとれない。それどころかますます痛みが強くなり、我慢ができなくなってきた。土が目の奥に入ったのだろうか、目の中に土がくっついているのではないかともっとよく洗うよう母や叔母にいわれ試すがいっこうによくならない。

その痛みは自分でも不思議なくらいであった。

それこそ文字どおり七転八倒するくらいの痛みで、わたしはうずくまり、目をおおった。
母も叔母も「おおげさな」と言わんばかりにやや呆れ顔になりながらも、わたしがあまりに痛がるので「困ったねえ」と言ったりして、しかしさほど本気で心配していなかったように思う。

それからはもう芋掘りどころではなくなり、しばらく横になったまま痛みがおさまるのを待った。
目を真っ赤にしたまま家に戻った。

そんな時も、帰ればすぐに愛する白いセキセイインコをみることを思い出し、楽しみにしながらベランダに出していたカゴに近づいた。

えっ!

止まり木に止まっていたのは1羽だけで
もう1羽が下にいる。しかも倒れているようにみえた。

まさか

どうか、そうではないように!

夕方の少し暗くなりかけた光の中で
目をこらしてカゴに近づいた。

1羽があきらかに下で倒れていた。
死んでいる。


どうして?どうして?

声も出ない。
さらに衝撃的なことが目に飛び込んできたのだ!

止まり木に止まっていた
もう1羽の鳥の足が
一本しかなかった。


私の家はマンションの4階で、周りに同じくらいの高さの建物はなく、それまでの鳥たちもずっとベランダにカゴを置いて鳥を飼っていたが、こんなことは一度もなかった。しかし一度箱にいれていたりんごをベランダにだしていたとき、りんごがかじられていたことがあり、ネズミがここまで上がってくるのだろうか?とゾッとしたことがあった。
かじりあとはあきらかにカラスなどのような鳥のものとは思えなかったのだ。

だからこの白い鳥たちの事件も、ネズミだろうか。としか考えられなかった。結局今でもわからない。

でも、あの、さつまいも掘りをしたときにわたしを襲った異常なまでの目の痛みをおもいだし、
あれは鳥たちの痛みだったのではないかと
すぐに思った。

鳥たちはわたしに教えていたのだろうか。

痛いよう、痛いよう!とわたしが言っていたその時、白い鳥が1羽足をもがれ、1羽殺されたのだ!
わたしは絶対そうだと思い、
ごめんねごめんねと、
助けてあげられなかったことを泣いて詫びた。

片足だけになった1羽は
その後何年か生きた。

私は動物が大好きだった頃、本や映画も動物の話を好んだ。キタキツネ物語、名犬ラッシー、あらいぐまラスカル、野生のエルザ、ソロモンの指輪…動物のでてくる物語や図鑑にばかり反応した。

「かたあしダチョウのエルフ」という絵本は
ずっとまえから好きな絵本だったが、この白いセキセイインコのことがあってからは、
悲しみが重なり、手に取らなくなった。

あの物語は、最後、
たしかエルフは木になってしまったのではなかったか。あの結末はエルフの喜びだったのだろうか。
悲しみだったのだろうか。

今回そんなことを思い出した。


hanakirinnnさんな作品を使わせていただきました!ありがとうございました。



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