見出し画像

評価を気にせずイラストを描けるようになった話

今までROM専だった私がXにイラストを投稿し始めて、約3ヶ月経った。
最初は評価を意識しすぎて辛い3ヶ月だったが、1つの答えに辿り着いてスッと気が楽になった。

評価を気にしなくなった経緯の備忘録として、
そして他人の評価で絵を描くことが嫌いになりかけている人に届きますように。

1ヶ月目

今までROM専だったため、イラストを描いても鍵垢でひっそり投稿する程度だった。
インターネットの海にイラストを投稿することはとても勇気が必要な決断だった。
それでも自分の「好き」の気持ちをアウトプットしたくXアカウントを設立。
声優さんのファンアートを投稿するので、「苦手な人も多いかな・・・」と思い繋がりたいタグを使う勇気もなくフォロワー0のまま数点投稿していた。

まあ、当たり前ですが「imp1桁・いいね0」という悲惨な数字を叩きつけられる日々が続きました。(imp=表示された回数)
久々にオープンな場に自分のイラストを投稿したため、評価されない現実に少しだけ抱いていた自信はあっという間に砕け散った。

まだマシな方

「創作なんて自己評価の世界だし、他者評価で自信をつけようとするなんて傲慢だ!」というマジレスな自分と
「頑張って描いたなら見てもらいたいじゃん!!!!いいね欲しいのは当たり前じゃん!!!!」
という素直な声が入り混じり、誰にも評価されない日々が続く悪夢を見て汗だくで目覚める日もあった。

VS AMBIVALENZのレオン君も自信の無さを他人で埋めるなと言っています

そんな最悪な精神状態だったので、
「SNS イラスト投稿 反応ない」で検索した私が辿り着いた記事の1文に心が救われた。

「私は絵が下手なのかな」「センスないのかな」「Twitter向いてないのかな」とかいろいろ考えてしまう人もいるかもしれないけど、たぶん「まだ人目に触れてないだけ」

https://bashideza.com/twitter-drawing-timelag/

本当にそれ!!!
上手くないのは重々承知だけど、そもそも「見られていない」のに数字で落ち込む事自体がズレていた。
見てもらうための工夫もしていないのに数字に左右され落ち込んでいることが馬鹿馬鹿しくなり、だんだんと数字に対する執着がなくなった。

2ヶ月目

1ヶ月目に比べると数字への執着は落ち着いて悪夢も見なくなったが、もちろん評価されたい感情が0になるわけではない。
むしろ、「いいねを伸ばすためにレポ描いた方がいいのか?繋がりたいタグ使う?同じ声優さんが好きな人を片っ端からフォローする?」などなど数字稼ぎを目的とする手法ばかり思いついてしまい、楽しくイラストを描くことを忘れている自分がいることに気づいた。

楽しいはずのイラストがただの苦行になってしまい、このままじゃまずい!と思い以下の3つのトレーニングを行った。

  1. Xを始めたきっかけを思いだす

  2. Xにイラストを投稿している理由を書き出す

  3. 具体的に何が辛いのか書き出す

1.Xを始めたきっかけを思いだす

そもそも、なぜROM専だったのに外に出ようと思ったのか。
それは「好き」を言語化したい!あわよくば同じ温度感で語れる友達が欲しい!という気持ちから。
つまり、イラストへの他者評価は全く関係ない。

2.Xにイラストを投稿している理由を書き出す

自分の「好き」の表現方法がイラストなので、自分が心動いた推しのビジュやエピソードを描いていきたい。
あわよくば、私のイラストを見て同じオタクと繋がったり、私のイラストを通して推しに興味を持ってくれる新規さんが増えたら嬉しい。
イラストを軸に誰かと繋がりたい、見てもらいたいという欲求を満たすために投稿しているので評価に敏感になる原因の1つだと考えられる。

3.具体的に何が辛いのか書き出す

最後に、数字が伸びないことの何が具体的に辛いのか深掘りしてみた。
ここではいい子ちゃんぶらず、素直に書き出すことをオススメします。

  • 元々自分の絵に自信がないため、他者評価でしかイラストの価値を図る指標がないと思っている

  • 自分では上手く描けたと思った作品でも、他者評価とのギャップがあると完成直後に持ち合わせた達成感・自信がなくなってしまう

  • 評価されていない状態のイラストが世に晒されている状況が恥ずかしい

    • 知り合いにイラストを見られることが恥ずかしいのではなく、評価されていない状況を知られるのが恥ずかしい

  • 自分より画力の低い人の数字が高いと嫉妬し、「私ってこと人より下手なんだな・・・」比べてしまい自信がなくなる

  • 流行りの絵柄にした方がいいのかな?など、自分のオリジナリティを崩す思考に走り絵柄が迷走する

赤裸々に書きすぎている気もするが、本音なんてこんなもんです。
人の目を気にせず創作活動ができる人は、純粋に描くことが好きか自分に自信があるか、そもそも人の目を気にしない性格のどれかだと思う。

書き出してみると「自信」というキーワードが多いことに気づく。
自分のイラストに自信がないから、わかりやすい評価軸のいいね数・フォロワー数で自信を補おうとしているのだ。

私が一番致命的だと思った気持ちは、
「自分では上手く描けたと思った作品でも、他者評価とのギャップがあると完成直後に持ち合わせた達成感・自信がなくなってしまう」の箇所。

せっかく世の中に生み出したイラストを自分で評価できず、他者に評価を託してしまっている状況。

これっておかしくないか?

自分の作品の一番のファンは自分であるべきだし、これまで練習してきたスキルや知識を駆使して頑張って描いているのに、自分で自分のイラストを褒められないなんて虚しすぎる。

この気持ちに気づいた時、もっと自分の「上手く描けたんじゃない?」を信じてあげようと思った。

例え、他者に評価されなくとも自分で自分のイラストを褒めてあげる。
上手くできなかったところは次に活かせばいいし、いいね0件でも自分でいいねをつけられたら、それはいいね何百個に相当する価値なのではないかと思えるようになった。

以上3つの振り返りを通して、

  • 自分の「好き」を表現するためにイラストを描いていること

  • 自分で自分のイラストを褒めてあげる

上記2点を意識するようになったら、SNSにイラストをアップすることが怖くなくなった。

3ヶ月目

大きな評価はなくとも、他者評価で筆が止まることはなく気持ちよく絵を描くことができてきた。

そんなある日、1枚のイラストがプチバズりした。

うお、まじか・・・
今までいいねなんて2桁いけばいい方だったのに、3桁!?
(今思えば、界隈で話題になっていた事をイラスト化したのでトレンドに乗れたことがプチバズの背景だと思う)

純粋に嬉しかった気持ちと同時に湧き上がってきたのは、

「こんなもんか」

という冷めた感情。
この「こんなもんか」は数字に対することではなく、
伸びた数字を見た時の「嬉しい気持ちの大きさ」

傲慢と捉えられるかもしれないが、私がとても憧れていた沢山の人に見てもらい沢山のいいねを貰えている状況に対して、この絵はこんな評価を貰うに値するものなのか?と焦燥感まで生まれてきてしまった。

ここではっきりしたのが、他者評価で埋められる穴はとても小さいということ。
2ヶ月目で感じた、自分で自分の絵を評価できた時に埋まった穴より全然小さいということだった。

もちろん評価いただいたのはとても嬉しいけど、
自分で自分の絵を好きになれた時の方が気持ちが満たされると気づいた瞬間だった。

まとめ

創作活動の目的なんて人それぞれだし、やらなくても死ぬことはない。
いつでも辞められるし、他人の評価でポキっと心が折れてしまう。

ただ、辞めるきっかけを「他人」が主語のものにしないでほしい。

  • 誰にも評価されないから

  • あの人より年上で長く描いているのに下手だから

このようなきっかけはいつか絶対に後悔する。
私は高校生の時までイラストを描くことが大好きだったが、私より上手い人達に囲まれて自分のイラストが下手すぎて好きになれず筆を置いてしまった。
あの時諦めずに、ずっと描き続けていたら今より上手いのかな〜と思うこともあるがもうどうでもいい。

自分の作品を愛し、褒めてあげることは何百人に評価されることよりずっと尊いもので価値のあるものだと私は伝えたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?