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地球がまわる音を聴く

前回前々回と、子どもとの関わりかたについて文章を書いたのだけれど、多くの人に読んでもらえたようでありがたかった。

文章を書くからには結論めいたことを最後にビシッと書く必要があって、そのせいで私があたかも迷いなく今後の振る舞いを決めたかのように見えるかもしれないが、全くそんなことはない。その後も変わらずうじうじ悩み続けている。

悩みながら思うのは、子どもに関することは無限に考え続けることができるということだ。”子どものことを考える親”、って字面だけ見ると思いやりとか愛情に繋げて考えられやすい。場合によっては”そんなに子どものことを考えているなんて良いお母さんだね”と褒められるかもしれないし、同じく子どもを持つ親からは”わかる、育児って本当に悩みが尽きないよね”と同調してもらえる可能性は極めて高い。

でも、それじゃあ駄目なんだ。無限に悩めるからこそ、思いを断ち切って自分の人生をやっていかなきゃならない。親が思い悩んだとて、何ができる?血を分けた子どもといえど、所詮、他人の人生だ。

それに、思い悩み、子どもに時間を使えば使うほど、子どもの人生を思い通りにコントロールする方向に転がり落ちていく気がする。あれだけ悩んでやったのに、あれだけ手をかけてやったのに、そういうふうに子どもに迫る親にだけは絶対に絶対になりたくない。

最近読んだ本の中に、子どもに道徳を身につけさせるには、まずは人生が生きるに値する楽しく素晴らしいものであることを教える必要がある、というような記述があった(乱読の悪癖のせいでどの本に記載があったのか忘れてしまった)。確かにそうだと思う。自分の人生もこの社会もクソッタレだと思っている人間が、どうやって道徳を実践する?そんなものはどだい、無理な話だ。

大人になったら人生はこんなに楽しいぞ!というのを教え込むことくらいしか、親にできることはないんじゃないかと最近は思っている。

というわけで(?)久しぶりに美術館に遊びに行ってきました。

インスタレーション系のアートが多そうなので足を運ぶことにした。私はインスタレーションが大好き。

六本木駅に着いて、エスカレーターを何度か乗り換えた後にエレベーターで52階まで運ばれる。ぐいぐい最上階まで引っ張られている間、エレベーター内の天井の色が青色から夕暮れのような色に変わるのが印象的だった。

エレベーターはそこそこ混み合っていたが、私以外の全員が手前のベルばら展とアリス展に吸い込まれていき、『地球がまわる音を聴く』に入ったのは私だけだった。

場内は空いていて、ゆっくり展示を観ることができた。Twitterにも書いたが、かなり強烈な展示がいくつかあり、特にDVをテーマとして扱った部屋はしんどかった。女性の啜り泣く声、何かを殴るような音…嫌悪感と恐怖を煽るような描写にDV当事者でもないのに胃が引き絞られた。

部屋には女性が多かったが、男性も何人かいた。男性たちは目を逸らさずにじっと映像を観ていたのが印象的だった。私は直視することができず、横目で鑑賞した。でも、結局この部屋にいた時間が一番長かった気がする。

震災の遺物を組み上げて作った家のような作品も迫力があった。タンスや服、空き缶や靴が渾然一体となって大きな家を作り上げているのだが、所々に人型のオブジェが混ぜ込まれており、家の中にいると無数の視線を感じて居心地が悪い。観ているのか観られているのか分からなくなる。
もう使われなくなったタンスなどのがらくたから見ず知らずの他人の思い出が醸し出す匂いのようなものがして、ここもまた長時間いるのがしんどい空間だった。

催眠と暗示、言葉をテーマにしたインスタレーションも居心地が悪かった。プレッシャーと不安を感じさせるような映像とオブジェクトが暗闇の中で展開され、中に入ると他の鑑賞者と一緒に作品を”体験”することになる。

映像を含んだインスタレーションはエンタメ映画とは違って、作品の意図するところが分かりづらいことが多い。エンタメ映画は各シーンにはっきりとした意図があり、これは悲しいシーンだ、とかほのぼのするようなシーンだ、とか、抱くべき感情を誘導してくれる(必ずしもそうではないケースもあるだろうが、一般的にはそうである)。
同じ空間に他人がいて、同じものを鑑賞しているのに、隣の人間は何を考えているのかよく分からない。意図が不明のオブジェクト、不安を煽る映像を眺めて、同じものを観ているのに他の鑑賞者の思っていることが分からない。

私はインスタレーションを見知った人間と観にいくのが苦手だ。あまり解釈について話したくないし、空間を自分だけで楽しみたいと思う。だから、今回の展示も1人で足を運んだ。よく分からないものを、分からないままに鑑賞したいといつも思う。

それにしても、今回の展示はDVの部屋から畳みかけるように強烈な展示が続き、六本木ヒルズを後にした時には精神が疲弊してふらふらになってしまった。六本木ヒルズに着くまでは電車の中で本を読んだり、頭の中でいつも通り色々なことに思いを巡らせていたのだが、あの部屋に入ってからすっかり調子が狂ってしまった。

あの部屋にあったのは、DV被害者でもある作者が経験した苦しみで、私が受け取って調子が狂ったのは彼女の経験した苦しみのほんの断片を感じ取ったからだとすれば、実際の日々の生活の中で突発的に行われる暴力はどれだけ被害者にとって脅威となるのだろう。本当にぐったりしてしまった。暴力の生々しさは作品という形でも鑑賞者にこうして爪痕を残す。

ちなみに、私は最初のセクションの展示が一番好きでした。ミルクを垂らした真っ白な大理石、ヘーゼルナッツの花粉、蜜蝋でできた部屋。セクション全体に蜜の甘い香りがして、陽の光が薄青い部屋に差し込んでいてすごく綺麗だった。普段は美術鑑賞といえば専ら上野なんだけれど、上野で行われる展示は良くも悪くも優等生っぽく、無難な展示が多い。たまには上野以外の美術展に行くのも良いなと思いました。

Big Love…