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作るものはその都度形を変える

火曜日だ。ということは、更新日だ。こんばんは、週の初めの更新です。

昨日急に思い立って、短歌に関する本を何冊か買った。

以前から私の周りには短歌を詠む人が何人かいて、賞をもらったり雑誌に載ったりしているのを”へえ〜、すごいなあ”くらいの気持ちで眺めていた。

近しい存在であったにもかかわらず、なぜか短歌は私自身とは縁遠いものだと決め込んでおり、まともに触れる機会がなかった。潮目が変わったのはここ半年ほどで、何故かTwitterのタイムラインに時折流れ込んでくるようになり、自然と短歌を目にするようになった。

”具体的なことをしたいよ愛とかじゃなくて机を拭いてあげたり”

『透明な砂金』宇野なずき

タイムラインでまず私の目に入った短歌がこれだった。めちゃくちゃいい。何度読んでもジンとしてしまう。

短歌の良さって、言葉を尽くして説明しようとすればするほど野暮になる。でも、ちょっとだけ野暮なコメントを…。”机を拭いてあげたり”のいじらしさが良いし、それって結局愛じゃんと思うし、それでも”愛とかじゃなくて”って言いたくなる気持ちもすごく分かる。歯軋りするほど恋しいのに絶対に触れられない人ほど、具体的なことをしてあげたくなるのってなんでなんだろう。
この歌を目にした途端に、今までの自分の人生にもあったけれど深くに埋もれていた情景が一気に去来して、胸がいっぱいになってしまった。

短歌ってすごい!

そう思った瞬間から、短歌関連のbotをいくつかフォローし、私でも知っているような有名な歌人の歌集を何冊かKindleで購入した。

歌集を読んでいて良いなと思うのは、ページ同士の繋がりがほぼないことだ。もちろん大抵は歌のテーマが決められていて、恋の歌や特定のシチュエーションに纏わる歌ばかりがまとめられていることも多いのだけれど、それでも小説に比べればページ同士のつながりは薄い。

そして、ひとつひとつの歌が短いから、なんか違うなと思う短歌があってもスッと読み飛ばして次に行ける。前のページが理解できていないと次のページを読んでもちんぷんかんぷん…とはならないから、かなり気楽に読める。昨晩は2冊の歌集を一気に読み終えた。

短歌に関心を持った瞬間から、自分でも短歌を作ってみたくなった。
周囲に短歌を詠む人間が複数人いたにもかかわらず、私には短歌の知識が全くなく、俳句との区別も正直あやふやだった。でも、タイムラインに綺羅星のごとく優れた短歌が現れた瞬間に、”あっ…私もこんなふうに詠みたい”と思った。

善は急げだ。歌集を読んで即、うろちょろ夜の街を歩き回り、あっと思う瞬間を見つけたので早速短歌にしようと思った。家に帰ってから57577のリズムになんとか捩じ込もうと努力し、結果として寝るまでに一応完成はしたのだが…。当たり前のことだけれど、めちゃくちゃ難しかった。心に響いたことを31字に納めるのってこんなに難しいのか…。どれくらいの時間をかけるのが正解なのか全くわからないし、ど素人だから詠むコツもよく分からない。Amazonに飛び、指南書を追加で何冊か買った。読んで勉強するつもりだ。

このnoteを定期的に更新し始めてから1年以上が経つが、まとまった字数の文章を書くようになって一番大きかった変化は、何事も”これは文章にできるか?”という目で見るようになったことだ。

さもしいと言われるかもしれないが、定期更新を始めてからというものの、常に目を皿のようにして何か書くことがないか探している。でもそれは書くことがあまりにも好きすぎるからで、努力や労苦といった言葉からはほど遠い。読んでいる人も楽しんでくれているかもしれないが、間違いなく世界で一番私が更新を楽しんでいる。

書くことを始める前は、どこかに行ったり新しいことを始めたり、そういう人生の色々を楽しむのが下手くそだったが、”この体験で文章が書けるか書けないか”という一本の軸が人生に通ったことで、物事の面白さを見つけるのが上手くなった気がする。

目を皿のようにして生活していると、琴線に触れるワンシーンがそれなりの頻度で訪れるが、文章という形に落とし込むことができずそっと心の奥底にしまわれることも多い。書き起こさなければ、どんなに良いと思ってもそれらのシーンは大抵忘れられていってしまう。ああ、もったいない…。

そういうワンシーンをなんとか短歌にできないかなと今は思っている。形式が変われば出力も自ずと変化するはずで、文章以外の形で自分が考えていることを書いていけたら、もっと書くことを楽しめるんじゃないだろうか。Webから投稿できるフォームを見つけたので、今朝早速送信した。しばらくは作った短歌を投稿し続けてみるつもりだ。

文章も短歌も、作ることそれ自体が楽しくてありがたい。3歳の子どもが最近工作にハマっていて、折り紙やシールを鋏や糊で組み合わせて正体不明の何かを作っていることが多いのだが、”それなあに?”と尋ねるたびに答えが違っている。何か決まった目的地や完成形があるわけじゃなくて、ただ折り紙やシールをいじっているのが楽しいんだろうなと思う。私も3歳児の心で短歌を楽しめたらいいなと思います。

Big Love…