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人生は賭け

こんばんは〜。日曜日のnote更新です。
先日、岡本太郎の展覧会に行ってきた。

太陽の塔を作った人でしょ?くらいのかなりぼんやりした知識で訪れたのだが、かなり良かった…。最近行った美術展の中で1番良かったかもしれない。

”岡本は、「芸術は呪術である」と宣言し、こう述べる。芸術行為とは、共通の価値判断が成り立たない、自分自身にすらわからないものに賭けることだ。そして、理解されない、「自分ひとりにしか働かないマジナイ」であっても、「それがもしいったん動き出せば、社会を根底からひっくりかえすのだ」”

岡本太郎『呪術誕生』より引用

作品を作ることを”賭ける”と言い切る潔さ、痺れるわね…。この人にとっては生きることは基本的に戦いなんだと分かるような、そういう展示だった。作品のテーマとしてオリンピックや戦争など、大衆ウケしそうなものを選びつつ、作品自体には他者の安易な理解を拒むような荒唐無稽と思えるような表現が多用される。

かわいい犬の植木鉢

『明日の神話』に代表されるような、壁画を多数残していることも印象的だった。

壁画というのは誰でも眺めることのできる芸術だ。わざわざ美術館に足を運ぶ必要はない。実際、『明日の神話』は渋谷駅にある。一日に数百万人が乗り降りする巨大な駅に飾られた、あまりに有名な壁画。岡本太郎の中には万人に向かって開かれたフレンドリーな部分と、誰の理解も拒む閉じた部分が混在しており、それが非常に魅力的だった。

それはそうと、たまにこういう不幸が美術展では起きるのだが、同じペースで歩いて回っている人との相性があまり良くないと、私は結構しょげてしまう。

今回の展示は写真撮影が可能だったのだが、当然、作品保護のためにある程度はカメラと作品との距離を取る必要がある。作品に近づきすぎると係員のお姉さんが”もう少し距離を取って撮影をお願いします”と声をかけてくれるのだが、そばにいた高齢者が”触ったりなんかしねえよ!俺の腕、そんなに長くねえから!”と反論していて衝撃的だった。あなたの腕の長さ、どうでも良くない?係員のお姉さんが可哀想で私は(勝手に)かなりしょげた。

なんとか足並みをずらそうと絵をのんびり眺めても、その後もなぜかそのおじさんとはしばしば同じタイミングで作品の前に立つ羽目になった。こんなところで運命を使い果たしたくない。

逆に良かったのは、このおばさま。率直でかなり良さを感じた。岡本太郎の作品を目の前にして、”もっと分かりやすく描いて欲しい”なんてなかなか言えないよ。

最後にグッズコーナーに寄った。岡本太郎の著書がたくさん置かれていた。

https://honto.jp/netstore/pd-book_28373226.html


”こういうタイトルの本を愛読して許されるのってせいぜい20代くらいまでじゃないか…?”と思いつつ、でも有名な作品を読んでおきたくて買ってしまった。作家の本を初めて買うとき、まずはエッセンスが詰まっていそうな本を買いたくて、それが『自分の中に孤独を抱け』だった。全然違ったらすみません。

35歳が読んでも大丈夫なのか?という謎の羞恥心で今のところ家の外で読むことができていない。完全に無駄なプライドである。読んだら絶対大丈夫だって分かると思う。完全に勘でものを言っていますが…。

岡本太郎の作品はエネルギッシュで、観ているとエネルギーを吸い取られるのではないか?と思ってしっかりご飯を食べてから挑んだのだが、完全に杞憂だった。1時間半くらいで観て東京都美術館から出てきた時にはかなり元気になっていた。狂気を持って自分のやりたいことを貫き続け、自分自身の人生に戦いを挑んだ人間の作品を観て元気が出ないわけがなかった。

入場時点では天気も微妙だったし家に直帰すべきか迷っていたのだが、思い切って訪れて良かった。こういう時、”当たり”の選択肢を引けると嬉しいものだ。美術館から出た時、上野の空にはでっかい虹が掛かっていたらしいのだが、それは見逃してしまった。残念。

太陽の塔の赤ちゃんを買って帰った。タローちゃんと呼んで可愛がっている。タローちゃんを連れて色々なところにお出かけしようかな。大阪以外の景色をたくさん見せてあげたい。

Big Love…