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3.11に寄せて

こんばんは〜、3.11のnote更新だよ。

私はもらった質問に回答するとき、質問文を大きく端折る。質問をくれた人があくまで私だけに伝えたいのだろうなと思った部分は削り、note読者が質問の核の部分だけを理解できるように文章を剪定する。だいたい頂いた質問の半分以下の長さにしてお出しすることが多い。

しかし、以下の質問は全文そのままお出しする。読みやすいように段落に分けたりしているが、それ以外は手を加えずに載せている。

こんばんは。もうすぐ震災の日ですね。あのとき、紺さんは何をしていらっしゃいましたか。

私は東北出身ですが、関東で子どもの精神科医をしています。
震災の日、私は春休みで南の地に一人旅をし、帰りの飛行機を待ちながらのんびりお土産を買っていました。
揺れは感じませんでしたが、飛行機が欠航し、関東に帰れなくなりました。

急遽取ったホテルで、津波の映像を見ました。故郷が跡形もなく流されたことは、ホテルで知りました。両親は逃げ、無事でした。

現地での数日間、ホテルの一室で心は凍結し、頭の中は津波と、なぜか自宅の裏庭の映像が繰り返しよぎり、身体は空港にキャンセル便がないかを何度も見に行く。脳の情報処理と感情、それに行動が、それぞればらばらに機能しているような感覚でした。

関東に戻ると体調を崩し、1ヶ月の休みを取らされ、職場の人たちには随分と支えてもらいました。 両親とは、子どもの頃からわだかまりがありました。居心地の悪い家庭から逃れる場所が、雑草が生い茂る自宅の裏庭や、自然豊かな周辺の地でした。

私にとっては、郷里という場所こそが内的な親であり、心の支えだったのです。このことには、震災から10年ほど経ち、自分が分析的心理療法を数年受けることで、やっと気づくことができました。

「自分は被災を免れ、家族も生き残り幸運だ」。そんなメッセージを日本中から受け取り、自分でもそう信じ込み、いつしか震災について誰とも話せなくなっていました。

独り揺れを経験していないことに、今でもコンプレックスを感じます。「わかって欲しい」と「誰にもわかられたくない」を、未だに行き来しています。

とても不謹慎ですが、あの時郷里で揺れを感じ、故郷が喪われていくのを、この目で見届けたかった。

それぞれの3.11があると思います。紺さんもご自身のその日に、思いを馳せるのではないでしょうか。

私はもうこれ以上誰にも、自分からも、幸運だったなどと言われたくないです。のたうつほど辛い日が、またやって来ます。 読んでくださり、ありがとうございました。

私にとって3.11は、あなたほどはっきりとした輪郭のある思い出ではありません。私は当時東京で大学生をやっており、図書館で卒業試験などに向けて勉強をしている最中でした。自習室のようなブースで問題集を解いていると、突然大きな揺れに見舞われました。今まで経験した地震とは明らかに規模が違うものでした。

その日は平日で、大学には同級生がたくさんいました。当時私は電車で通学していたのですが、大学から帰る電車は運休しており、東京の交通網は完全に麻痺していました。夜になってもJRは運休したままで、家まで歩いて帰った同級生や大学に泊まった同級生もたくさんいました。

しかし、私が当時いた図書館でも実家でも物が落ちたり壊れたりすることはなく、私は徐々に日常の生活に戻っていきました。あなたの郷里を押し流したあの恐ろしい津波や原発事故が、当時の私にとっては遠い出来事だったのです。

ウクライナで起きている戦争や、その他海外で起きる痛ましい事件や事故、そういった報道は今の私にとっては他人事ではなくなりました。しかし、3.11のあの日、そして今に至るまで続く原発事故のその後と復興の過程に2011年の私は無関心でした。

医学部に入ってからというものの、勉強三昧の毎日でした。私は大して頭の出来が良くないので、勉強についていくためにはそれなりに時間をかけて真面目に勉強する必要がありました。読書量は減り、当時の交友関係は医療関係に限られ、おそらく凄まじい視野狭窄に陥っていたのだと思います。当時の私は本当に、自分のことばかり考えていました。

あなたの書いてくれたことに話を戻します。人は深く傷つき、それでもその後の人生を生きていかねばならないとき、”恥ずかしい”と感じることがあるそうです。精神科を専門とする先生に言うようなことではないかもしれませんが、不思議な心の動きだなと思います。被害者という立場であるにも関わらず、”生き延びてしまった”、”私だけがこんなふうに助かってしまった”、”恥ずかしいことだ”と思うのは、大きな傷の後の一般的な心の動きだそうです。

関東で揺れを経験し、帰宅困難者になっただけの私があなたの書いたことにしっかり寄り添えないことを、私もまた恥ずかしいと感じます。私の”恥ずかしい”の何倍も大きな傷が、まだあなたの心には生々しく横たわっているのでしょう。

傷の大きさや深さを比べること自体、ナンセンスではあります。それなのになぜ、私たちは傷つくことにすら誰かの承認が必要だと感じてしまうのでしょうね。

3.11のあの日、実際に郷里で揺れを感じ、故郷が喪われていくのをこの目で見届けたかったとあなたは書いてくださいました。どうせなら誰から見ても慰めてもらえるような、そういう形で傷つきたかった、そういう気持ちだと解釈しました。状況は異なりますが、似たような思いは私にも身に覚えがあります。

あなたの気持ちをはっきりと”わかる”と申し上げることには抵抗や恥じらいが伴います。しかし、あなたの送ってくれた文章を読んで、強く心を動かされたのは事実です。

3.11について、私はこの場所で書くつもりはありませんでした。書くだけの権利がないと思っていたからです。しかし、あなたの文章を私だけが読むのは勿体無いと思い、公開にあたって私の思うところについて書くことができました。あなたの思いの丈を送ってきてくださってありがとう。

気持ちが楽になるといいですね、などと私が言うのは、あなたにとっては余計なお世話でしょう。それでも、3.11のあの日、郷里にはいなかったあなたが責められるべきことなどひとつもなかったのだと、それだけは申し上げたい気持ちです。

Big Love…