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ここであなたと出会うということ

火曜日だ!noteの更新だ!

どうもこんばんは、火曜日のnote更新です。

先日、1年前くらいに書いた自分の文章を読み返してみた。

このnoteの最後の方にリンクが貼ってある。で、読み返してみたら今より随分しっとりした雰囲気の文章を書いていてびっくりした。誰だこれ。別人みたいじゃないか。

noteの定期更新を始めてから随分長い時間が経った。初めて書いたnoteは2019年9月のもので、もうすぐ4年が経とうとしている。

初めてnoteを書いた時はめちゃくちゃ緊張した。今読み返してみると、中高生の頃散々読んでいた朝日新聞の天声人語の影響をもろに受けている感じがする。

新しいことを始める時、一番緊張するのは初めて書く時よりも2回目、3回目だ。初回は大抵物珍しさから読んでくれる人がいる。運が良ければ褒めてもらえるかもしれない。

でも、2回目や3回目になると大抵飽きられる。物珍しさがなくなり、書き手のこちらも何を書けば良いのか分からなくなる。生々しい話をすると、数字の伸びが悪くなり、やる気をなくすのもこのあたりなんじゃないかと思う。続けて書けるかどうかの分水嶺が2回目、3回目のあたりにある。

”私が書き続けられたのはとにかく書くことが好きだからです!”と言い切れたらかっこいいけれど、私の場合、書き続けられた理由はそれじゃない。
初期からなぜか私の文章を読んでくださる人たちがいて、その人たちの存在を感じ続けた結果、ここまで走ってくることができた。
書き始めて4年だ。たいていの趣味が長続きしない私にとってこれはすごいことだ。

つまり、今これを読んでくれているあなたのおかげで私はこうしてnoteを書いているわけです。

…そう思うと、何とかしてあなたたちを喜ばせたいものだなあ!という欲が湧いてくる。でも、どうすれば良いのか全然分からない。1年前に書いたものを読んでも、”こいつ誰だよ、本当にこれを書いたのは私なのか?”と思うような芯のないぐにゃぐにゃの人生を送っているので、1年前から継続して私が書いたものを読んでくれている人や、今これを読んでくれている人が何を期待してこの場所に来ているのか全く分からない。

思えば定期更新を始めた初期は色々なことをしていた。記憶に残っているのがコルギだ。顔をぐいぐい押して血流を良くして小顔にする…みたいな韓国発祥の美容法だった。書くことがなくなるのが恐ろしすぎて、今までやったことのないことをやってみようと思ってコルギをやりに行ったのだった。

頭蓋骨の骨縫合のエピソード、すっかり忘れていたけど読み返すと結構面白いな…。こうして書いておかなければ完全に記憶から失われていたであろうエピソードだし、そもそも書くことを始めていなければコルギに行くことすらなかっただろう。

昔のnoteを読んでいると、今の私との違いにばかり着目して面白がったり驚いたりしてしまうのだが、唯一共通しているなと思うのは、私はとにかく退屈を恐れており、常に何か全力投球できるものを探しているということだ。

全力で投球する対象は時期によって違っており、それは仕事だったり家庭だったり哲学だったりゲームだったりする。こんなに芯がなくて大丈夫か?と思わないでもない。あまりにもぐにゃぐにゃの人生。でも、興味の赴くままに新しいことについて書けば、文章を通じてまた新しい人たちと出会えるかもしれない。

ご存知の通り私は陰気な人間だし、仕事以外で他人と話すのが極端に苦手である。でも、文章という形でならベラベラ喋ることができる。本当は話したいことがたくさんある。だから、これからも全力投球する対象が何度変わっても、文章だけは書き続けていく。

Big Love…