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他人が開けた窓から飛び出す

最近幼児と1時間程度ドライブをする機会があった。
東京から近郊の県まで1時間程度のドライブで、運転は夫がしていたので私と幼児は後部座席にいた。30分ほど、窓の外の景色を眺めながら色々な話をした。雲の形がパンに似ているねえとか、看板に書かれたひらがなを読んでみたりとか、ごく簡単なことしか話さなかったのだが、生まれてから3年、初めてこんなに長く会話が成立していることに感動してしまった。

幼児と初めてドライブをしたのは、生後1週間の頃だった。
出産のために入院していた病院から自宅へ帰るために車に乗って、30分くらいの短いドライブだった。以前noteにも書いたが、私は産後の経過が非常に悪く、一時輸血が必要になる瀬戸際のレベルまで出血があり、また、体の様々な部分が裂けてまともに歩けない状態だった。
痛みでよろめきながら、首も座っていないぐにゃぐにゃの小さい赤ちゃんを抱っこして、チャイルドシートにそっと乗せた。小さな赤ちゃんと一緒になんとか無事に家に帰ることが出来て良かったと心から思った。大袈裟でなく、”生き延びた”とあの時は思ったものだ。冬の寒い日で、頬の産毛が陽光に照らされて光っていた。赤ちゃんは家に着くまですやすや眠っていた。

その次に記憶に残っているドライブは、初孫の顔を見せに夫の実家である中部地方の某県に帰った時のことだ。まだコロナウイルスの流行もない頃で、高齢の祖父母に赤ちゃんの顔を見せに行った。
当時の幼児はやたらと腹の空く赤ちゃんだった。ミルクをあげる間隔は標準的には3時間以上は空けるべきなのだが、前回のミルクから2時間程度が経過すると顔を真っ赤にして泣き、抱いてもあやしてもどうしようもなく、とにかく口にミルクが入るまでは絶対に泣き止まないというめちゃくちゃ食い意地の張った赤ちゃんだった。
夫の実家までのドライブは長く、目的地まであと少しというところで腹が減った赤ちゃんが顔を真っ赤にして泣き出した。時速60km/hrで動く車の後部座席で水筒に詰めておいた熱湯を取り出し、キューブ状の「明治ほほえみ」を哺乳瓶に入れてミルクを作ったことは忘れられない。赤信号でブレーキがかかるたびに乳白色の水面がめちゃくちゃに揺れて、ゆっくりブレーキをかけて!と叫んだことを覚えている。車内では腹の減った赤ちゃんがギャンギャン泣いているし、普通に地獄だった。
ミネラルウォーターでミルクを適温まで冷やして、チャイルドシートで横になっている赤ちゃんの口に突っ込んだ。後部座席がそこそこ広い車だったから、私は右腕を限界まで伸ばして哺乳瓶を支えていた。すれ違った車に乗った家族が異様なものを見る目でこちらを見ていた。私も夫もただ、車内がやっと静かになったことに安堵していた。

ミルクを卒業した後も、言葉が通じない時期のドライブはそれなりにしんどかった。アンパンマンチャンネルに飽きたと言って騒いだり、持ってきたおもちゃを床に落として泣いたり、言葉が通じない人類が楽しめる娯楽は極端に少なく、長いドライブの途中で必ず娘は車に乗ることに飽きていた。
言葉が通じない育児が終わり、最近の娘はかなり話せるようになってきている。幼稚園からの帰り道では看板や車のナンバープレートの平仮名を読み上げ、風呂に入っている最中は園であった出来事を話してくれる。成長しているなあと思ってはいたが、車という同じシチュエーションにいることで成長が際立って、30分以上会話が続いたことに素直に感動してしまった。


最近、ネット上に転がっている日記を読むのにハマっている。有料購読の日記もあれば無料で読み放題のものもあり、ログを可能な限り遡って最初から読むようにしている。最近読んでいる日記は2018年から始まっており、新型コロナウイルスが流行する前の自由に旅行や外食ができた日々を懐かしく眺めていたのだが、2018年の末に差し掛かったとき、あっ、と思った。
2018年末、その頃の私は臨月に入っていた。まさにお産をしたその日も日記は綴られていて、いつもと変わらぬ冬の1日が淡々と綴られていた。

お産をした日は私が親になった日で、しかし実際はそれよりもずっと前から親になる準備をしていたし、そしてまた同時に、お産をした日から3年以上が経った今も、ちゃんと親になれているという自信はなかったりする。
そんなことをぐだぐだ考え続けているのが私のこの数年間で、しかし他人の日記を読むと、当然のことながら私とは全く別の人生を歩んでいる。私がどんなに深く悩んでいても、世界には私の悩みと縁のない無数の人生がある。

ただその日あったことや、自分が考えていることを書いただけの文章が、私を遠くまで連れて行ってくれる。他人の書いた文章はそれだけで「外」であり、他人の日記が開けた窓から、私は全く別の世界を眺めることができる。

実際に、どこかに移動しなくても、「出口」を見つけることができる。誰にでも、思わぬところに「外にむかって開いている窓」があるのだ。

岸政彦『断片的なものの社会学』より引用

継続して書くことに意味があるのだと信じられたのは数年に渡って淡々と続いている他人の日記のおかげである。感化されて定期更新を決意するも、私には毎日更新は無理だから毎週にしてみようと思ったのが去年の暮れだった。

実際、毎週書くと決めてしまうと、文章の出来が自分の能力に依存しないので気が楽である。木曜日の夜が来たら、例え出来がいまいちでも人前に出さなくてはならない。文章の出来が悪いとすれば、それは私のせいではなく、木曜日の夜が来たせいだ。毎週それくらいの開き直りで更新ボタンを押している。
更新が不定期だった頃は、書くからには良いものを書かなきゃと身構えていたし、もっとああすれば良かったこうすれば良かったと、書いた後の1週間くらいはたっぷり後悔していた。しかし、毎週更新を続けている今は完全に開き直っている。だって後悔している間に次の木曜日が来てしまうから。毎週更新していると性格が図々しくなる。来週も図々しいnoteをよろしくお願いします。

Big Love…