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夢は野山を駆け巡る

最近寒すぎないか?どうも、火曜日のnote更新です。

我が家では基本的に私が買い物と料理を担当してるんですが、買い物って帰り道の大変さの割に食材がすぐに無くなりすぎでは?ということをここ数日ずっと考えている。

私は車を運転しないので基本的に荷物を腕にさげてスーパーから帰るんですが、今の季節美味しい白菜とかを買うと腕がもげそうなくらい袋が重くなる。退勤後にスーパーに寄ってヒイヒイ言いながら野菜だの肉だのを家に持ち帰って、"こんなにしんどい思いをしたんだから1週間…いや3日は保って欲しい…!"と思うも、2日も経つと何らかの食材が足りないことに気づく。毎回その繰り返しだ。あまりにも愚か…。

”あっ、バターがちょっと足りないや”とか、”生のレモンがあったら今日の煮込み料理はもっと美味しくなるんだけどな〜”とか、料理を作れないわけじゃないけどあと一歩食材が足りないみたいなことが頻発する。
これは私の計画性のなさはもちろん、重い荷物をさげて帰ろうという時に生のレモンとかバターとかハーブとか、そういうあってもなくても良いかなみたいな微妙な食材にまで意識が向かないんですよね…。肉、野菜、基本調味料など、絶対ないと成り立たない食材に意識を集中させているから絶対ハーブ売り場とか行き忘れる。

別にハーブがなくても良いじゃん、生レモンじゃなくて保存のきく瓶に入ったレモン汁で良いじゃん、という幻聴がどこかから聞こえてきますが、それは全く仰る通り…。しかし、そういうちょっとしたお楽しみアイテムなしの料理ってびっくりするほど飽きが来やすくないですか…?私だけかな…サラダにやたらとディルとかを散らしてニヤニヤしてるのは…。

ちなみに私は同じメニューを3回くらい作るとすぐ飽きてしまう。こういう性格なので私の本棚には大量の料理本がある。最近はウー・ウェンさんの本をよく読んでいます。

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%82%92%E3%82%81%E3%82%82%E3%81%AE-%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%B3/dp/4471408844/ref=sr_1_4?qid=1670933576&refinements=p_27%3A%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%B3&s=books&sr=1-4

話題は変わって、来年は卯年ですね。私は来年年女で、36歳になります。さんじゅうろく…30歳過ぎたあたりから自分の年齢に全く実感が湧かないんですが、こうやってヤバい中高年が完成するんですかね…。

次に年女になる時、私は48歳になっているわけで、その頃娘は何歳になってるのかな?とふと考えた。なんと次の卯年でも娘はまだ16歳にしかなっていないと知って仰天してしまった。

16歳!まだ高校生じゃないか。12年経っても娘はまだ、青春の真っ只中にいる。一方私は人生の夕暮れ時に差し掛かりつつある。体力も記憶力も今より更に衰えているはず。世の中を見渡せばイケてる48歳の方々はたくさんいらっしゃいますが、私がそうなっているという保証はどこにもない。

最近読んだ本に、ある程度歳を重ねてからの体験に関する記憶が残りづらいのは、それらの体験が人格形成に大きな影響を与えていないからだ(意訳)というような記述があり、思わず膝を打ちました。

確かにつまらない日々を過ごしていると人格が停滞し、変化のなさに倦み、記憶は失われる(気がする)。10代の頃と比べると体験の記憶は圧倒的に残りづらくなった。それは年齢による衰えだけでなく、日々の生活に追われて人格の大きな変化から逃げているからかもしれない。

このまま次の卯年を迎えて48歳になった時、娘はおそらく人格形成の真っ只中にいるだろう。まだ経済的には親元を離れてはいないけれど、精神的には親からほぼ独立しているはず(というか、そうじゃないと困る)。

12年の歳月を人格の大きな変化もなくのんべんだらりと過ごし、輝く思い出は子どもにまつわるものばかり、子どもが独立したらママは心にぽっかり穴が空いてしまうわ…みたいな感じの48歳を想像したら、ギャッと声が出た。このギャッ、は親としてではなく子どもとしてのギャッ、です。お母さん、なんか他に人生の楽しみはないわけ?アタシ、もうすぐ家から出てくけど…って私が娘ならそう言うだろうから。

子どもに人生賭けることを否定するわけではないです、念のため。それはそれで一つの生き方だと思う。子どもに関する輝く思い出を抱きしめて、子どもが独立後は穏やかに生きていく人生もまた素晴らしい。ただ、私の魂がそれに沿う形をしていない、それだけのこと…。私は48歳になっても刺激と人格の変化を求めて野山を駆けずり回っているのかもしれないな。

Big Love…