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遠い未来の私に答える

なんとか無事に週末が終わった…。日曜日の夜が一番へとへとになっている気がする。毎週末、無事に週末を乗り切れたことに感謝が止まらなくなる。

今日も質問に答えるぞ。

17年一緒に暮らした猫を亡くしました。

心筋症から胸に水が溜まり、レンタルした酸素室も効果なく、最後は安楽死をお願いしました。

心筋症と診断された時から獣医さんからは安楽死について考えておいた方がいいと言われていて、介護中ずっと葛藤していました。その方が苦しみを早く終わらせてあげられるなら安楽死してあげたい、でもどのタイミングでその判断を下せばいいのか、大好きな猫の最期を決めてしまうのが怖い、このまま自然に任せて見守るべきなのか、でも楽にしてあげたい、などと苦しい呼吸をする猫の側でずっとぐるぐると考えていました。

今日も決断を下す勇気が自分になかったために楽にしてあげられなかった、と一晩中後悔した日もありました。 結果として安楽死をお願いしたのですが、今も正しかったのかわからないし、猫の不在がとてもつらいです。

もう1匹いる兄弟猫や家族のために落ち込んでばかりはいられないのですが、悲しさはどうしようもなく、時間が経てば楽になるどころかむしろどんどん悲しさが増していっています。

ペットロス掲示板等でも何年も引きずっている方を見ますし、自分も性質的にそのタイプだと思っていて、このつらさをずっと抱えて生きていくのかと思うと震えます。

紺さんは大切な存在を失ってどうしようもなくなった時はありますか?安楽死や喪失について、どんなことでもいいから紺さんの言葉を読みたい、と思いこの質問を送った次第です。つらい気持ちにさせてしまったら申し訳ありません。読んでいただきありがとうございました。

多分この質問は、今一緒に暮らしている文鳥を失ってから読むと全く印象が変わるんだろうなと思う。

Twitterを見ている方ならご存知の通り、私は数年前から桜文鳥と暮らしていて、文字通り溺愛している。吸ってよし、撫でてよし、飛んでよし、とまってよし、完璧な生命体こと文鳥…。

私は幼少期から鳥が大好きで、小さな頃はペンギン、ある程度大きくなってからは文鳥が大好きだった。一緒に暮らしてみたいとずっと思っていたけれど、実家の親が鳥を怖がるので実家を出るまでは諦めていた。実家を出てからも、たびたび当直やオンコールで家を空けているうちは文鳥と暮らすことは考えられなかった(これは他者もそうすべきというニュアンスではなく、私がそういうポリシーだったというだけの話です)。

子どもを産んで1年くらい経った頃、Twitterできみたろという文鳥に出会い、どうしても文鳥と一緒に暮らしてみたくなった。以前からTwitterでは文鳥と暮らしている人間のアカウントを複数フォローしていたのだが、きみたろは特別だった。

https://note.com/hmr_k/n/n95df944302e0

文鳥と暮らし始めた頃のことは、このnoteに書いてある。

私は幼少期に数年ほど亀を飼っていたことがあるだけで、温かい動物と暮らすのはこれが初めてだった。雛時代から挿し餌をして、ケージをリビングに置いて明けても暮れても熱心に世話をした。夢にまで見た文鳥との生活。文鳥はだんだんと私たちとの暮らしに馴染み始め、人間が食事をしていると文鳥も一緒にシードをつまむし、人間がのんびりしていると文鳥もブランコにとまってうとうとするようになった。

前から文鳥のことが大好きだったが、一緒に暮らしてみて、自分の家にいる文鳥って本当に特別なんだと分かった。よそのお家の文鳥ももちろん可愛い。愛想が良かったりツンケンしていたり、個体によって性格が違って面白い。でも、自分と暮らしている文鳥は生活の一部だ。炊飯器のスイッチを入れると必ず怒った声を出すとか、おやすみカバーをかけると必ず嘴をギチギチ鳴らすのがおやすみの挨拶だとか、私にしか分からない愛がそこにある。

長く一緒に暮らしていると、愛が生活に溶け込み始める。そこにあるのが当たり前の愛。撫でるとふわふわで温かくて、質量と熱のある、私だけの愛。

質問をくださった方は、17年も愛と一緒に暮らされたんですね。17年。気の遠くなるような数字だ。生まれた赤ちゃんが大学生になる、そんなにも長い時間を愛そのものの猫と一緒に過ごして、そして今その喪失に耐えていらっしゃるとのこと、想像を絶する痛みが胸にあるのだろうなと思います。

私は愛と長く一緒に暮らしたことがありません。今一緒にいる文鳥が初めての愛で、遠い未来に喪失を経験した時、私は一体どうなってしまうんだろうと時折ふと不安に襲われます。

ここからは想像でものを書いていくので的外れだったら本当にごめんなさい。デリケートな話だから、想像だけでものを書くなんて無神経だと思われるかもしれない。でも、今の私が考えていることを正直に書いておきます。

喪失の痛みって不在そのものの痛みだけではないですよね。生活と不可分のところまで染み込んだ愛が、喪失の後も続く生活の中でふらりと私たちの前に気配をあらわすのが、何より辛いんじゃないかと思います。一緒に歩いた道、過ごした時間、食事の時に視線を向けずともずっと感じていた気配。何をしていても、不在の愛はひょっこりと姿を現します。

文鳥と一緒に暮らすことを決めたあの日から、終わりに向かって歩んでいるという実感があります。あまりに感じる愛が大きすぎて、いつか必ず喪失の日が来るのに、どうして一緒に暮らすという選択をしたんだろうとすら思うことがある。

でも、愛に限らず全てに終わりが来ると知りながら、私たちは日々を生きています。最後には全て失うことが決まっていても、その過程にあった煌めく愛との日々は絶対に嘘になったりなんかしない。何物にも代え難い時間を愛と一緒に過ごしたのだという幸福の実感が、いつか喪失の痛みを上回りますように。遠い未来に必ずあなたと同じように激しく苦しむことになるであろう私自身へのメッセージとして、ここにそう記しておこうと思います。

今日の回答は以上です。常時質問を受け付けています。返答不要でも構いません。あなたの考えていることを聞かせてくださいね。


Big Love…