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君に伝えたいこと

あんまり書くことがないな。でも、質問にばかり毎回答えているのも芸がないから最近の話でもするか。

最近読んでいる漫画。母親を早くに亡くした小学生の女の子とその父親の暮らしを描いた作品、『Papa told me』である。

普段あまり”この作品をもっと早くに読んでおきたかったなあ!”と思うことはないのだが、Papa told meは違った。私が親になる前に、この作品を読んでおきたかった。

親になった今はどうしても、作品の中の子どもを眺める視線に親としての感情が乗っかってしまう。そうではなく、純粋な子どもとして読める頃にPapa told meに出会っておきたかった。

榛野 なな恵『Papa told me』一巻より

主人公のちせは大人びた子どもとして描かれているけれど、実はどの子どもも、親に対して密かにこんなふうに思っている。親のことが好きだけれど(大好きだからこそ)、子どもは親の負担になりたくないのだ。

巻数を覚えていないからスクショを貼れないのだけれど、自分が父親にとっての負担になっているのではないかと気に病むちせに対して”子供はみんな正当な存在だ”と父親がさらりと返事をするシーンも良かった。
そう、子どもはみんな正当な存在である。勉強ができるとか可愛いとか気がきくとかそういう美点でもって、ここにいることを正当化する必要はないのだ。

子どもを慮る親の美しい心の動きと、それを凌駕する子どもの親への思慕が描かれていて、ページを捲るたびに圧倒される。子どもを産んで初めて愛を知った、みたいな物言いって色々な場所で目にするしまあ一応同意するけれど、その愛は親である自分の中ではなく、子どもの中に発見するものだと思う。親の愛より子どもの愛の方がよっぽど深くて重い。いつも愛したり赦したりするのは親ではなく、子どものほうなのだ。

子どもや親を優しくふんわりと肯定しつつ、家族連れに対して辛辣な描写もちょこちょこ出てくるのが面白い。
父親の知人が主催するホームパーティーに招かれたちせの、”住宅会社のCMに脇役で出演しちゃったみたいな気分なの”というセリフには笑ってしまった。分かる、”ピカピカのマイホームに美しい妻、生意気だけれど可愛い子ども…平凡だけれど幸せな家庭ってやつを手に入れちゃいました”アピールのためのパーティーって世界一つまんないもんね。

少女だった私に家族とは、親とは何かを教えてくれたのは萩尾望都のイグアナの娘だったけれど、あの頃にPapa told meを読んでいたらどう思ったのか、今はもう知ることはできないことを本当に悔しく思う。

子どもに”この本を読んでほしい”などと思うのは親のエゴだと分かっているけれど、Papa told meはいつか紙の本でも買って家の本棚に入れておこうかと思う。今回はKindleで買ってしまったけれど、これは紙で置いておく価値がある漫画だと思った。まだ13巻くらいまでしか読めていないけれど、通読したらまた何か書くかもしれない。

私が親に勧められて読んだ本ってあったかな〜、と思い返すと、灰谷健次郎とか天童荒太、向田邦子あたりは親の影響だった気がする。特に向田邦子は、親がリビングの机の上に『思い出トランプ』を置いていたのを私が勝手に読んで、”こんなにすごいものを書く女がいるのか!”と雷に撃たれたような衝撃を受けたのだった。これを読んでいた親のこともついでにちょっと尊敬した気がする。

でも、読書の趣味はあまり親とは合わなかったな。親は海外の文学が好きで、私は国内の作品の方が好きだった。私がPapa told meを本棚に入れておいても、成長した4歳児は”つまんね”と思うかもしれないが、それでもめげずに色々な本を入れておこうと思う。親が直接子どもに伝えることよりも、親の本棚に入っていた本に書いてあったことの方が、印象に残ることもあるだろうから。

Big Love…